2007年12月の日記
「ガチャポンと石膏像」
1日
昨年度の「都展」(毎年東京都教育委員会が主催する上野の都美館でおこなわれる小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の児童生徒の作品展)の際、担当の伊藤貴光先生が、上野駅近くの売店でなにやら、「ガチャポン」を懸命におこなっている。
・・・と、なんとそれは、「石膏像」のがガチャポンなのだ。ヘルメスやブルータスやモリエールなど懐かしの石膏像である。貴光先生は、これをコレクションしているのであった。
東京藝術大学へいくと石膏展示室があり、さまざまな石膏像がある。「石膏デッサン」というと、かつての美大の受験生には、悲喜こもごもの感情が立ち上がるであろう。
まあ、とにかく藝大の石膏室は、「石膏デッサン」の起源であるかもしれない。明治政府は、莫大な費用をかけて、近代化のために設置した。西洋のアカデミズムの絵画のための基礎訓練として、定形化された形式は、いまでも根強く学校教育や一般的な絵画技法の基礎として流布している。(誤解されている)
「石膏デッサン」が、絵の基礎、基本であるかは、ともかく、比較文化的に見ると、この石膏室自体が、日本の近代化の過程で、西洋の美術をどのように捉え、考え、移入してきたのかをみていくには、たいへん興味深い資料になるのではないだろうか。
それにしても、「ガチャポン」はよくできている。これも「手わざ」に長けた日本人の伝統であろうか。そういえば、「根付け」などの細密彫刻に、こうした遺伝子はつらなるものかもしれない。あっ、携帯のストラップも。
「∞のこどもたち展」と「審査会」
2日
土曜日は、仕事のダブルヘッダー。
ひとつは、「家の光」協会の世界の児童画の審査。子どもたちの絵を見るのは楽しい。ここのところ絵の感じが変化してきている。以前は、東南アジア、インド、中国の絵は、描写的な定型化したものがほとんどであったが、子どもらしい自由さをもった表現に変化してきている。
むしろ日本の子どもたちのほうが、少し抑圧されてきている感じがする。一枚の絵の向こう側に、その社会の様子がみえてくるようだ。
また、子どもたちののびやかな表現の向こう側には、指導者もいて、可能性を開く場を設定してくれているのだということも感じた。
子どもたちの絵は、ひとりひとりのかけがえのない表現ではあるが、その背後には、社会や人がいるということも事実である。
審査を終えて、飯田橋から本郷の東大にむかった。「∞のこどもたち展」の打ち合わせである。今回は、展示関係を中心に話をすすめた。展示のデザインには、中原崇志さんという展示デザイナーが受け持ってくれることになった。
なにからなにまで自分たちで全部やるのが「都図研流」であったが、今回は、デザイナーが入るので、どうなるのか楽しみである。横内先生、南先生、玉置先生には、休みにかかわらず参加していただき、ほんとうにありがたい。
「日本科学未来館」が、はじめて、子どもたちの作品で埋めつくされる姿は、想像するだけでも楽しいではないか。皆様も、ぜひご参観ください。
ところで、会議場の工学部に行くには、「安田講堂」の横を通る。この建物は、ある映像と記憶を喚起する。1968年の東大紛争・東大闘争では、全学共闘会議によって占拠された。その時中学生だった私はTVの映像でじっとその攻防をながめていたのを思い出す。
この建物は、安田財閥の安田善次郎の寄付により建設されたらしい。暗殺された安田を偲び、「安田講堂」と呼ばれるようになったという。内田祥三の設計で、東京都の登録有形文化財第1号だそうだ。内田の建物はほかにもたくさんあり、ゴシック様式であるため、「内田ゴシック」と呼ばれている。
また、帰り道、ライトアップされた銅像をみつけた。「レーニン」みたいだと私。「ほんと」と横内先生。「でもなにも表示がないな。誰?」
ということで、家で調べてみると、ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852-1920)という建築家らしい。ロンドン出身の建築家で、お雇い外国人として来日し、辰野金吾ら、創生期の日本人建築家を育成し、建築界の基礎を築いたのだそうだ。
映画「暗いところで待ち合わせ」
3日
日曜日は、久しぶりに休日だった。4時に起きておきて、「ひつじ日記」を書き、送信する。意外と時間がかかるよ〜。(菅原先生は、また、時間をかけて、アップする。ありがと〜)他の原稿なども書き上げて、10時ころになった。(なんて、働き者なんだ!)
ごろっとなってTVをつけると映画をやっていた。(例の画面の暗いTVである)
視覚障害の女性が主人公の映画で、ボーっと見ていたら、どんどん引き付けられた。主人公役の田中麗奈がなかなかいいし、中国人とのハーフ役、チェン・ボーリン もいい。井川遥や岸部一徳、佐藤浩市などの脇役も存在感がある。
監督、脚本は、天願大介という人で、「今村昌平」の子どもらしい。原作は己一という人の小説。
ストーリーの展開が、みている私の予想を裏切るところがいい。また主人公の若いふたりのなんともいえない寂しさが個々のショットから伝わってくる。「寂しい」というのは、現代のキーワードかもしれない。
考えるに「他者を受容する」というのがこの映画のテーマかもしれない。サスペンスと寂しさがあいまった、切々とした見ごたえのある映画であった。(やっぱりTVを買おうかな)
「教育課程検討委員会の中間まとめ」
4日
月曜日は、誠之小で、教育課程検討委員会(委員長、平田耕介先生)があった。各地区より委員が集まり、現状把握のためにおこなった「アンケート」を読んだ。800人以上から回答があったので、7割を超える回答率であった。
シンプルな「中間まとめ」を12月の理事会で方報告する。人材の変動や教科に対する考えなど、貴重な資料になるだろう。
「中央教育審議会の答申」や「新学習指導要領の告示」をまって、本資料をつき合わせながら、今後の図画工作の方向性や具体的な指導について、現場サイドからの考えを次年度検討し、答申したいと考えている。
「意見の募集」5日
12月7日まで、文部科学省で下記の意見を募集している。
中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 「教育課程部会におけるこれまでの審議の状況について」に関する意見募集の実施について
平成19年11月8日
文部科学省
中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会では、学習指導要領全体の見直しについて審議を重ねてきており、平成19年11月7日に「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」を取りまとめ、公表しました。
つきましては、この「審議のまとめ」について広く国民の皆様から御意見をいただくため、下記の要領で意見募集を実施いたします。
1.意見募集対象
「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(別添)
2.資料の入手方法
1.電子政府総合窓口(e-Gov)(※電子政府の総合窓口ホームページへリンク)における掲載
2.窓口での配付
【文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程企画室(東京都千代田区丸の内2-5-1)文部科学省ビル7階】
3.意見募集期間
平成19年11月8日(木曜日)〜平成19年12月7日(金曜日)必着
4.意見の提出方法
(1)提出手段
電子メール・郵送・FAX
(電話による意見の受付は致しかねますので、御了承ください)
(なお、いただきました御意見の収集・整理の便宜のため、なるべくメールによる提出をお願いしたく存じます。)
(2)提出先
電子メールアドレス:kyokyo@mext.go.jp
(件名は【審議のまとめへの意見】として下さい。また、コンピューターウィルス対策のため、添付ファイルは開くことができません。必ずメール本文に御意見を御記入下さい)
住所:〒100-8959 東京都千代田区丸の内2-5-1
文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程企画室 宛
FAX番号:03-6734-3734
5.意見提出様式
件名:「審議のまとめへの意見」
・氏名
・性別、年齢
・職業(在学中の場合は「高校生」「大学生」など在学する学校段階を表記。)
・ 住所
・ 電話番号
・意見
6.留意事項
皆様からいただいた御意見につきましては、今後の審議の参考とさせていただきます。いただいた御意見についての個別の回答はいたしかねますので、あらかじめ御了承ください。
御提出いただきました御意見につきましては、氏名、住所、連絡先を除いて公表されることがあります。なお、氏名、住所、連絡先等の個人情報については、適正に管理し、御意見の内容に不明な点があった場合の連絡等の本意見募集に関する業務にのみ使用させていただきます。
(文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)
「大会事後処理」と「OECD、15歳学力調査」
6日
火曜日は、文京区教育委員会、水曜日は、台東区教育委員会、中央区教育委員会、千代田区教育委員会に事務局長の大道先生、実行委員長の沼野先生(水曜日は会場校の榎本先生も)と私で大会の後援の御礼の挨拶と後援名義の報告書を提出してきた。あとは、会計の決算と報告書の作成提出が残る。事務局の大道先生、会計の飯塚先生、編集局長の庖刀先生がいまがんばっているところである。報告書にはDVDが付録で付き、中島信也氏の1日目のすばらしい講演もみることができる。
大会も約800名強の参会者があり、学校行事がつまったこの時期にしては多くの方が参観していただけたと思う。
「人間形成としての造形美術教育」をテーマに掲げ、少ない人数で開催できたのも、皆様の力の結集があったからだ。
また、5日付の新聞各紙では、OECDの学力調査の報道がなされていた。「数学」は6位から10位、科学は2位から6位に落ちこんだという。
またぞろ、短絡した「学力低下論」に拍車がかかり、授業時数増が喧伝されかもしれない。が、時間数を増やし知識を詰め込めば済むという問題ではなさそうだ。
なぜかと言うと一般に流布している「学力」は「知識理解」を示すようだが、PISAのもとめる「読解力」「科学的リテラシー」「数学的リテラシー」とはデータや文章など、さまざまな材料を読み解き、理解したうえで、自分なりの知識と経験を基にして考えるものだからだ。
さらに、自分の意見を構成して相手にコミュニケーションする一連の行為の過程を「リテラシー」と呼んでいるらしいのだ。
つまり、「リテラシー」とは、単純な識字能力つまり、単純な「読み書き」というものではない。
だから、「国語的コミュニケーション能力」「数学的コミュニケーション能力」「科学的コミュニケーション能力」つまり、「メディウム」となる知識や経験を媒介にした応用する能力ということになる。
そういう意味では、私たちの図画工作、造形美術教育では、「ヴジュアル・コミュニケーション」「ヴィジュアル・リテラシー」というような側面が重要になってくるのであろう。
「プーアール茶」
7日
この間、プーアール茶というのを高円寺で買った。ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%8C%B6)によると「プーアル茶」(普?茶、Pu'ercha)は雲南省の原産地とする独自の色と香りがあり、美容にもよいらしい。加熱によって酸化発酵を止めた緑茶を、コウジカビで発酵させ、発酵期間が長くなるほど味はまろやかになり、値段は高くなっていくそうだ。その店では、一番高いのは、3万円近くもする。そんな高いものは手が出ないので、「2年物」を買った。(あと数年ほうっておけば高くなるのかな)もちろん贈答用である。お店で試飲させてもらったが、うまいかどうかわからんかった!(それに私はコーヒー党だし)
どの茶も、もともと同じで、「発酵」をどのようにコントロールするかで種類に分けられるそうだ。
(1)緑茶(不発酵茶)、酸化発酵を行わないもの。
(2)白茶(弱発酵茶)、ほんの少し酸化発酵させるもの。
(3)青茶(半発酵茶)、ある程度酸化発酵を行わせるもの。ウーロン茶は青茶に分類される。
(4)紅茶(完全発酵茶・全発酵茶):酸化発酵を完全に行わせるもの。
(4)黄茶(弱後発酵茶)、白茶と同じ工程を行った後、軽く酸化発酵させるもの。
(5)黒茶(後発酵茶)、緑茶にコウジカビによる、通常の意味での発酵を行わせたもの。プーアル茶は黒茶に分類される。
(5)その他、蛾の幼虫に茶葉を食べさせて、発酵した糞でつくる「虫屎茶」というものもあるらしい。
しかし、「茶」は、奥が深い。さまざまな文化的な事柄や歴史と連なるものだ。
そう言えば、下戸の私がいつも「飲み屋」で飲んでいる「ウーロン茶」は、かのピンクレディが「減量のために飲んでいる」というコメントから世間に広まっていったらしい。知らんかった!
「ガムテープ文字、修悦体?」
8日
先週の火曜日の夜は、浅草で中央大会の打ち上げ会があった。その帰り(モヒカンの)山田先生とタクシーで日暮里駅までいった。日暮里駅はいま工事中。「改札はどこだ?」表示をみると、「あれ、これ、なんとか文字では?」と山田先生がいった。小生はなんだかわからずつったったままだったが、「これ、いま有名なガムテープで文字を書く人の文字ですよ」。なんと駅の構内をみるといたるところその文字だらけではないか!
「修悦体」という文字らしい。佐藤修悦さんという人がつくっている。2003年に新宿駅の工事の際、構内の案内文字が多くの人の目を引きつけてから、世間に紹介され話題となったという。(ぜんぜん知らなんだ!)
問い合わせが絶えない駅の案内をする際に考えたアイデアそうだ。ゴシック体に類似するが、素材は、布のガムテープで、独特の個性がある文字だ。
それが現在、工事中の日暮里駅でみられるのである。こんな「造形遊び」もあったら楽しいだろう。仕事帰りの貴方もぜひ鑑賞してみては。
「一万千百十一人目!」
9日
10,000人目の当選者がないので、菅原先生が、11,111人目の企画を立ち上げてくれた。
「実は」というか、ほんとヘマなことなのだが、一万人目が差し迫った日、あと数人で、当選者がでると確認した。朝風呂に入って1時間ほど経った。「もう出ただろう」とHPをあけると、なんと「祝一万人目のパスワード」が画面に立ち上がったのであった。(あわてたのなんの)当事者が当選してしまった!
至急、菅原先生に携帯でメール。「急いで私も開いてみます」と返事がきた。するとしばらくたって「私も当確のパスワードが出てしまいました。パスワードの配信が複数送られた可能性があるので、設定を解除します。しばらく様子をみましょう。しかし、真実の一万人目は永遠の闇に葬られた模様です」「では、賞品のドローイングは複数用意して待ちましょう」
今のところ当確者の連絡がない。
ああ、まったくヘマだ。企画者の二人が当選してしまうなんて。まるで、「水車のような輪を走るネズミ」みたいだ。いくら走っても同じ場所にいる。なんか、むなしい自慰行為みたいだ。ここまでくると「笑うしかない」(わっはっは)
そうだ、「悲しみの向こうには、笑いがある」と誰かが言っていたっけ(ホント?)くじけてはいけない。
とにかく、「11,111人目」の方は、ぜひとも連絡していただければ、ありがたい。お願いします。
「世代の移行」
10日
都図研教育課程委員会(委員長平田耕介先生)の調査アンケート(グラフ、1297校中、876校回答)をみるとこの先、10年の図工専科の世代構成が明らかに変化していくのかよくわかる。
経験年数21年以上が、300を超える数値を示し、その他の世代は、100前後を推移している。5年後には、団塊の世代が引退するであろうから、さらに変化は急であろう。(勧奨退職する方の数も多いと聞くのでもう少しはやまるかもしれない。一説によると、教員は60歳定年まで勤め上げる人が少ない激務の職業であると言われている)
私は、53歳なのであと7年(まあ7年はもたないかも)。都図研関係の男性教員でいくと上の世代が、鈴石先生、内野先生、永野先生、清野先生。(今年でほぼ退職)私の少し下が、時任先生、柴崎先生、中村隆介先生。さらに、その下が、本間先生、遠田先生、玉置先生、大畑先生、平田先生となる。
さらにその下の世代となると・・・よくわからない。経験年数10年強あたりの30歳中盤〜40歳前半の世代は、専科の人員補充をしていなかった時代と重なる。教員採用試験が超難関であった時代。
また、5年以下の二つのグラフを足すと250を越えるので相当数になるから、あと10年後には、指導的な世代が手薄く、これまでの都図研の流れを知るものが、ほとんどいなくなり圧倒的に新世代が人員構成を占めることになる。(この世代は、伝達講習が強化された世代。効率主義や競争原理導入の世代で自主的な研修や共同性が乏しい世代と言えるかもしれない。もともと日本の教科研究は、都小研連などの任意団体が背負ってきた。なぜなら、行政には圧倒的な数の教員研修を負担するシステムがないから)
都図研では、現在、人員構成の変動と考え合わせながら、研究、研修の運動を展開している。教科指導そのものを支える人材がなくては、図工そのものが意味がなくなるからだ。
10年後は学習指導要領の改訂。その時図工の世界はどうなっているか?
「製鉄所」
11日
月曜日は、千葉の製鉄所の見学に引率した。
真っ赤な鉄が溶鉱炉から、吐き出され、レールに沿って次第に鉄板へと精錬されていく様は、みていて飽きない。水蒸気や熱やにおいが、強大な製鉄所に充満している。実にダイナミックな行程だ。
製鉄所全体がまるで生き物のようにうなりをあげている。また工場自体も実に巨大だ。けれども、古びていて、どこか廃墟を連想させもする。映画にでてくる場面みたいだ。その懐かしさによって、製鉄所自体が、近代が産出したアートのようにも感じられるのである。(むかし「鉄」の作家、リチャード・セラなど作品に惹かれたが、鉄が製鉄される様は、それらのアートを凌駕する迫力があった)
また、アニメ『もののけ姫』に出てくる「たたら」というのも鉄をつくる場所だ。毛利元就が活躍した中国地方の山間部がたたらの本場だそうだ。たたら製鉄とは日本古来の製鉄法で、千年以上の歴史をもつ、日本独特の製鉄法だ。「たたら製鉄」の最盛期は幕末から明治初期にかけてで、この時期は、同時に西洋文明が、移入され「洋鉄」の時代と入れ替わっていった時代であった。
製鉄所は、近代を背負いながらそこにあった。
「都図研理事会」
12日
火曜日は、調布市の布田小(時任理事長)で理事会が開催された。約60名の参加者が参加し、熱心な協議がおこなわれた。
12月ということもあり、今年の都図研の活動を振り返ってみると実にたくさんの充実した活動をおこなってきた。『子ども主義宣言』の発刊、ギャラリーTOMでの展示会、HP「とずけんどっとこむ」の立ち上げ、関ブロ都図研中央大会、研修会、横内先生講演会、研究局研究授業、都図研ニュース、名簿の発刊など事務局の活動、西多摩大会の立ち上げ、城北大会の始動、熊本全国大会、全小図連の運営・・・・そして、3学期には、都展、「∞のこどもたち展」、報告書の作成などの行事や仕事が控えている。また来年度は、大阪での全国大会やインセア世界大会への参加が現在検討されている。
まさに、この数年、図工という教科の危機や教育改革の変動に合わせながら、現場でできうることを皆さんの総力を結集して活動していると言えるのではないか。本当に頭が下がる思いである。ありがとうございます。
さて、もうひとつ、平成20年度の選挙管理委員会(委員長、曽根玲先生)による役員選挙がおこなわれた。理事の投票で立候補者全員が信任された。
会 長 辻 政博(文京、誠之小)
理事長 本間 基史(新宿、落合六小)
副会長 南 育子(墨田、堤小)
副会長 遠田 毅(日野、三沢台小)
副会長 鈴木 陽子(目黒、五本木小)
副会長 玉置 一仁(北、滝野川二小)
副会長 高橋 香苗(足立、大谷田小)
の各先生である。(私を除いて)皆さんたいへん力のある、すぐれた方たちだ。今後の都図研をひっぱっていっていただけると期待する。尚、3月の総会での承認を待って正式に新体制が発足する。
「成績の自己矛盾」
13日
二学期も終わりに近づいてきた。「成績」の季節である。(二期制のところはちがうね)
専科は、学級担任より提出の締め切りが早い。何百人の子どもの成績をつけるのは、たいへんでもあるが、どこか「うしろめたい思い」がつきまとうのは何故だろう。
ご存知のように「評価」は、ふたつに分かれる。ひとつは、授業全体にかかわるものだ。題材の設定や配列、指導法など実践された授業を教科の目的や内容、方法に即しながら総括的に振り返るものだ。
そしてもうひとつが、「評定」である。これは、個々の子どもの学習を「3段階」や「ABC」などによって数値化するものである。一般に「評価」というとこの数値化する「評定」のことを指している。
現在評価は、昔に比べ、「相対評価」から「絶対評価」になってずいぶんつけやすくなったし、また活動を照らし出す「評価規準」の設定によって、視点が明確化できるようになってきた。(昔、「成績不要論」があったが、図工が「教科」として学校教育に位置づけられる以上、構造的に「評価」がないということはあり得ないので、むしろ、それは、相対評価時代における無意味な序列化に対する異を唱えたものだろう)
ところで、「うしろめたさ」なのだが、授業者の側からみると「うまくできた授業」ほど、すなわち、個々の子どもの個性や能力を引き出すことのできた授業ほど、子どもたちの評定の数値が高くなるのである。つまり、「よい授業」をすれば、いい成績になるということである。逆に言うと「下手な授業」は、子どもの成績も下がってしまう傾向に陥る。
「評定」は結局、はじめに述べた「評価」と表裏一体の関係で、つながってしまうのである。(少し簡単に述べたが、もちろん授業だけでは収まらない子どもの生活や実態というものもそこには入ってくる)
つまり、子どもの成績がよくないという事象は、指導者の教え方がよくないという意味を含むのだ。
「なしたことが、自分に帰ってくる」。教育の営みというのは、ブーメランのようであると誰かが言っていたが、「ああ、もうちょっと、いい授業ができればよかったのに」と成績の季節に、いつも思うのである。
「関心」の重要性
14日
この間、誠之小で会議をやったあと、鈴石御大と横内先生と3人でパスタを食べた。その後、メールがあり、横内先生が「本」を忘れたという。後日取りに行った。皮のカバーが、超カッコイイ。さすが、読書家だ。中味よりもカバーに感動した。(中味は茂木健一郎の本)
「何かいい本ない?」とたずねられたが、読書する暇がない。出張や公務やこの「ひつじ日記」に追われ時間がないのだ。
けれども、積読の山の中から『アブダクション 仮説と発見の論理』(米盛裕二著、勁草書房、2007)をぱらぱらめくっていたら、面白い文章に出会った。(この本は、チャールズ・S・パースの「記号論」に基づいた思考の原理を論じたものなので、私が今言うことは、文脈がぜんぜん異なったなかで使用するのであるが、昨今の教育動向にかかわるものなので興味をひいた)
それは、「関心」に関するものである。現在、「評価規準」の「関心意欲」は、はなはだ分が悪く、学力低下論とあいまって、「知識理解」の方に重心が移動しつつあるようである。けれども次のような文章は「関心」の重要性を示していると考えられる。
「関心」を意味する英語の(intrest)は(inter)(間に)と(est)(is=在る)から成り、すなわち「間にあるもの」、「たがいに離れている二つのものを結ぶもの」という意味である。関心とは、つまり、われわれ認識主体(knower)と世界(the known)との間にあって、いわば両者を結ぶ「連結体」(relational bound)として働いているある作用のことを言う。・・・(中略)・・・「関心」「配慮」とは、すなわち、われわれ認識主体と世界を関係づける作用であり、世界に対するわれわれ認識主体の積極的な「関与」の仕方を意味しているのである。
(前掲書、P243)
いかがだろうか?「関心」とは、子どもが世界にかかわるための極めて重要な作用なのではないだろうか。こうした積極的な作用なしに「知識や理解」は在り得ないし、「思考力、判断力」も「絵に描いた餅」となる。
いくら時間を増やしても、いくら知識を詰め込んでも、世界に自らが「関心」をもって、かかわることなしには、身にしみた学習とならないことは、明白だ。その証拠は、PISAの調査の学習が「楽しくない」という日本の子どもたちの言葉であろう。
図工の学習は、こうした意味で、世界への子どもたちの「関心」を開いていくものだろう。
「∞の子どもたち展」と「日韓交流展報告書」
15日
金曜日は、16時から、六本木の「ミュゼグラム」というデザイン事務所で「∞のこどもたち展」の展示デザインの打ち合わせがあった。科学未来館の内田さん、デザイナーの中原さん、副会長の南さんで、コンセプトをつめながら、会場展示デザインを考えた。(もっとも私はすわっているだけだったが)意見をつきあわせながら、展示イメージをつめていく。それぞれのプロの視点からなされ、少しずつ具体化していく作業は、自己完結的な教師の世界ではなかなか味わえないものがある。
帰り道、六本木ヒルズの横の坂道は、電飾がきらきらと光っていた。(そう言えば来週のうちの学校の忘年会は、六本木だ)
家に帰ると、韓国の田俊培(ジョン ジュンベ)さんからメールがきていた。「韓・日子ども工芸交流」展の報告書のことであった。以前書いた文章を鈴石先生の資料をもとに再構成したものだが、日本の図画工作教育の現状を言い当てているのではないだろうか?以下掲載する。
東京都の図画工作教育
辻 政博(ツジ マサヒロ)
日本での図画工作教育は、単に大人の技術をそのまま子どもに教えるのではなく、一人一人の個性や能力を伸ばすために行なわれています。そこには、ARTを通して人間形成を行なうという本質的な考えがあります。
また現在、図画工作教育を通して、国際交流をはかりたいという希望も生じてきています。
東京都には約1300の小学校があります。そのほとんどの小学校に図工専任の先生が1人ずつ配置されています。これは、日本には47の都道府県がありますが、県単位で全校に図工専任の先生を置いているのは東京都だけです。音楽専任の先生も配置されていますから、東京では芸術教育を重視していることになります。
各県には大都市で図工専任の先生を配置している市もありますが、わずかです。従って、東京都の図画工作教育は専門性のある極めて質の高い授業が行われています。
そして、東京都の図画工作教育は日本全体の図画工作教育に大きな影響を与えています。
「東京都図画工作研究会」は、東京都の約1300人の図画工作の先生たちが集まる研究会であります。研究活動が盛んで、研究の大会を年に一回、行なったり、国立西洋美術館や近代美術館、現代美術館などと連携して子どものための鑑賞研究を行なったりしています。その他、アーティストなどを学校に呼び授業をするなど 、学校外の領域とも連携、交流し教育活動を行なっています。
近年、文部科学省の指導要領の改訂とともに、それまで実践されてきた技術主義や作品主義についての反省があり、子ども自身が本来もっている主体性や創造性を更に広げ深めようとする子ども中心の授業が展開されるようになりました。
そして、表現の原理的な活動である「造形遊び」も展開されるようになり、子どもが自らつくりだす喜びを味わうことが図画工作教育の中心のねらいとなっています。そして、その喜びの上に立って、さらに造形的な基礎的な能力を育て、情操を培うことが求められています。
このような現状ですが、教育制度的には、1945年以降、図画工作教育や音楽教育の年間時数は漸次減少傾向にあります。1945年当初には 年間105時間(週あたり3時間。1時間は45分)あったのですが、現在では5〜6年生では、年間50時間(週あたり1.5時間)に縮減されています。
現在の教育動向は「生きる力」を培うための基礎基本は、意欲や関心、思考力や判断力、表現力なども学力であると言ってきた学力論が大幅に後退し、知識や技術などの力を学力の最上位におくべきだとの意見が強くなり、思考力や波判断力、表現力などの力を軽視する傾向にあります。ですから、これらの教育動向とも絡み、図画工作教育のねらいが大幅に変更されるかも知れません。
文部科学省は数年前、教育動向を諮る目的で、子どもたちや保護者に対してアンケート調査を実施しました。結果は、80%の子どもたちが図画工作教育は大好きだと答えましたが、残念ながら保護者のうち、必要だと答えたのは30%に過ぎません。
子どもたちの創造性、想像性、社会性、人間性、また、文化を育てるためには、時間数が以前の状態に戻るのが望ましいと、図画工作教育関係者は考えています。保護者の図画工作教育の無理解をどのように解消するかが、図画工作教育に携わる教師の大きな課題となっています。
韓国の子どもたちと保護者の皆様は学校での図画工作教育をどのように考えていますか?
「北国」
16日
土曜日は、会津若松の磐梯町というところに講師にでかけた。「会津造形サークル」という図工に興味のある先生方の有志の研究会だ。
久しぶりに、郡山まで新幹線で、そこから磐越西線に乗って磐梯町にむかった。猪苗代では、磐梯山が半分みえた。半分は雲がかかっていた。
スキーコースの部分だけが白い。雪はまだのようだ。地球温暖化のせいか、会津でも雪が少なくなってきている。30年前にはじめて訪れた時、郡山を過ぎてトンネルを抜けると、そこは、雪国だった。まるで、かの小説のように。
どんよりとした雲が磐梯山をおおっている。これから鈍重な冬の季節が続くのだろう。雪国の人はどうやって冬を過ごすのだろうか。昔、「出稼ぎ」というものがあったが、今もあるのだろうか?
ススキの立ち枯れた原野が、鉄道脇にみえる。アンドリュー・ワイエスが描く風景のようだ。磐梯町についた。静かで寂しい町。そんな印象をもった。天気がそう思わせているのかもしれない。
「ボロ市」
17日
日曜日は、世田谷の「ボロ市」にはじめて行った。前から一度いってみたかった。たいへんな人出で歩くのがやっとこであった。
もともとボロ市は、北条氏の「楽市」として世田谷城下ではじまったらしい。東京と小田原の間にある世田谷宿で繁栄したという。
しかし、北条氏が豊臣秀吉により滅ぼされたことから、楽市は急速に衰えた。しかし、その後も近郊農村のための農具市として年末に開かれ、続いたという。明治以後ふたたび開かれることになり、古着の売買が盛んにおこなわれたため、「ボロ市」の名がついた。
現在では、古着、植木、食料品、神棚、玩具、古本、骨董などさまざまな店が並んでいる。20万人以上の人で賑わうそうだ
「サボテン」と「焼き物」を買った。サボテンは、奇妙なかたちのもの。象の足を切って逆さまににして、植えた感じのもの。名前は、名札によると「日輪玉」。以前ももっていたが、しぼんでしまった。難しい品種だ。露天のおじさんがどこかでみたことがある顔で、聞くと駒込の問屋さん。なんだいつもいくお店ではないか。
「焼き物」は、白い粉がかかった透明の釉薬のもので、釉薬のはげ具合がいい感じ。中国人の露天で、彼女ら曰く「宋時代」のものとか。もちろん半値以下に値切った。
「日本画」と「イノセント」
18日
『美術手帖』をいただいた。(社長様ありがとうございます)わが国唯一の現代美術情報誌である。
「日本画家」の「松井冬子」という人の特集であった。このところ「日本画」系のものがモードとして取りざたされているようだ。松井は、どうも若手のトップランナーらしい。高度な(?)描写技術と「奇想」のイメージが相まった表現だ。博士論文は「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」というもので、藝大の博士号をもつ。また、「女優」のような容姿をもち、モデルもおこなっている。申し分ない経歴、技術力、挑発的なイメージ、ご本人のキャラ、それに「日本画」というラベルがスターダムにのし上げている。
一方、巻末には、内野務先生の「お好み焼き」が掲載されている。こちらは、いかにもぼくとつな子どもの表現である。イノセントが充溢している。鉄工所上がりの職人。肉体派。ユーモア。(内野先生も本年度でご退職)
私のような立場の者からは、「巻頭の松井」と「巻末の内野」が、実に対比的にみえて面白かった。
そこでのキーワードは「技術」と「精神」とは何かということである。松井は辻惟雄(つじのぶお)との対談のなかで「美術は技術を伴うパッションの記号化です。技術もなく表現することは無責任でだらしがないと思います。」(P26)と述べている。
はたして「技術」とは何か?考えないといけない問題である。
ちなみに、ウィキペディアによると「日本画」は下記のように記述されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%94%BB
日本画の誕生
奈良時代から平安時代にかけて、中国や朝鮮半島などから渡来した技法や様式、あるいはそれに倣い日本で描かれた図画が「唐絵」と呼ばれた。これにに対して日本的な主題を描くものが産まれ、「大和絵」と呼ばれた。
その後「漢画」に対する「和画」や、「唐画」に対する「和画」などと、呼び方やその区分は時代によって異るが、海外から新しく流入した画風に対し、旧来のものを日本の伝統的なものと考えるパターンは繰り返されていた。
「日本画」は明治初期にヨーロッパからもたらされた油彩画すなわち西洋画(または「洋画」)に対して、それまでの日本にあった図画に対して用いられた用語である。
明治初期の1876年、明治政府は西洋画法を学ぶためイタリアからアントニオ・フォンタネージを招き、工部美術学校を創立した。浅井忠らがその第1期生であった。
その2年後の1878年にフォンタネージは帰国。いっぽうアメリカ合衆国からアーネスト・フェノロサが来日し、東京帝国大学で哲学などを教えた。
フェノロサが日本の美術に強い関心を示し、評価したことは有名である。
フェノロサが1882年に龍池会で行った講演『美術真説』で使った Japanese painting の翻訳が「日本画」という言葉の初出である。
この講演でフェノロサは次のような点を日本画の特徴として挙げ、優れたところと評価している。
1.写真のような写実を追わない。
2.陰影が無い。
3.鉤勒(こうろく、輪郭線)がある。
4.色調が濃厚でない。
5.表現が簡潔である。
フェノロサの通訳を勤めており助手であった岡倉覚三(のちの天心)らはこれに大きく力づけられ、1889年に東京美術学校(後の東京藝術大学)を開くと、西洋画の教育を排し、絵画としては橋本雅邦らを教師として日本画科をのみ設けた。第1期生には横山大観らがいる。
西洋画を教えていた工部美術学校は、これに先立ち1883年に閉鎖されている。
岡倉は1890年には東京美術学校の校長にもなるが、1898年に職を追われ、横山らと日本美術院を作った。 岡倉らが東京美術学校、日本美術院で育てようとした日本画は旧来の技法や様式を守るだけのものではなく、西洋画から採り入れるものを採り、それと対抗できるような日本の絵画であった。
橋本雅邦は兄弟子狩野芳崖とともに狩野派の出身でありながら、独自の画風を拓こうとした画家であったし、横山も新しい技法を開発している。
フェノロサが最初に使った「日本画」という言葉は、西洋から渡来した油彩画に対して、それまでに日本にあった図画全般を単に指すものではなく、中国や朝鮮半島に由来しながらも、日本の中で熟成、独自に発展した様式について言っているものであろう。しかし、これに発して岡倉らが育てて現在に至る日本画はそれとも異り、洋画の対抗勢力としてその後に発達したものである。その意味では日本画は明治以降のものであり、明治の横山大観が日本画家であっても、江戸時代の狩野永徳は日本画家ではない。
日本画の誕生は、明治政府の欧化政策のもとでの西洋文化の急速な流入に対する国粋主義的な危機感と、当時のアメリカ合衆国でヨーロッパ由来の文化との対抗軸を模索していたフェノロサとの出会いと共感が造り出したものかもしれない。英国から独立を果たし、南北戦争を経て安定したアメリカ合衆国では、1876年にボストン美術館が設立された。フェノロサは1890年に帰国後その初代日本部長となり、岡倉はその後を引き継いで1910年、ボストン美術館中国・日本美術部長となる。
日本における洋画と日本画はその後、互いに影響を与えながらも対抗的に併存、発展してきた。しかし今日では、主題や様式において、その境界を定めることは難しく、違いは画材にしか求められない状況とも言える。
「六角堂」
19日
誠之小学校の校長室に「横山大観」の「富士」の絵がある。大観といえば、岡倉天心(覚三)。天心といえば、「六角堂」と私の連想が広がる。(単純だね)
昔、六角堂に行ったことがある。茨城の五浦海岸(いづらかいがん)にある。天心が杜甫の草堂に倣い建てた。岸壁の上に六角形のお堂が建っていて、太平洋の水平線が一望できる。波の音や潮風のにほい・・・茫漠とした海景にたたずんでいると「有」や「無」というものが、自然にこころに浮かび上がってくる。
27歳で東京美術学校(現東京藝術大学)の校長となった岡倉天心は、1898年に「日本美術院」を設立、1906年この地に移したのだ
そうだ。横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山などが学んだ。
また、天心は、エリート官僚で、美術教育に関しては「毛筆画教育」を推進し、「鉛筆画教育」の小山正太郎らとの戦いがあったようである。(近代の生んだ「日本画」、「西洋画」の対立が背景にある)
浅学の小生は、天心の本をまだ読んだことがない。天心の本には、次のようなものがある。
『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』(1903、ジョン・マレー書店、ロンドン。 日本語訳、 『東洋の理想』)。『The Awakening of Japan』(1904、センチュリー社、ニューヨーク。ジョン・マレー社、ロンドン。 日本語訳、『日本の目覚め』)。『THE BOOK OF TEA』1906、フォックス・ダフィールド社、ニューヨーク。 日本語訳ハ、『茶の本』岩波文庫 村岡博訳 1929)。
いずれも英文。そこで、松岡正剛の「千夜千冊」をみると、『茶の本』にかんする意訳が抜書きしてあった。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0075.html
01 西洋人は、日本が平和のおだやかな技芸に耽っていたとき、日本を野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国とよんでいる。
02 いつになったら西洋は東洋を理解するのか。西洋の特徴はいかに理性的に「自慢」するかであり、日本の特徴は「内省」によるものである。
03 茶は衛生学であって経済学である。茶はもともと「生の術」であって、「変装した道教」である。
04 われわれは生活の中の美を破壊することですべてを破壊する。誰か大魔術師が社会の幹から堂々とした琴をつくる必要がある。
05 花は星の涙滴である。つまり花は得心であって、世界観なのである。
06 宗教においては未来はわれわれのうしろにあり、芸術においては現在が永遠になる。
07 出会った瞬間にすべてが決まる。そして自己が超越される。それ以外はない。
08 数寄屋は好き家である。そこにはパセイジ(パッサージュ=通過)だけがある。
09 茶の湯は即興劇である。そこには無始と無終ばかりが流れている。
10 われわれは「不完全」に対する真摯な瞑想をつづけているものたちなのである。
『「不完全」に対する真摯な瞑想』とは何か?そこに天心の美意識が読み取れるのではないだろうか。
「11,112人目」
20日
水曜日は、新宿の花園小学校で、鈴石先生関係の会議が18時よりあった。
仕事が終わって反省会のなかで、「実は・・・」と鈴石先生。例の11,111人目のアクセス記念のことだ。
「俺は、11,111人目を狙って、1時間前から5分おきぐらいにアクセスしてたんだ。絶対取ろうと思って。それで、11,110になった時、5分経ってすばやくアクセスしたわけよ。すると、なんと、11,112人目のカウント。ん〜、ちょとの差だったね。絶対取ろうと思ってたんだけど」。
ということで、11,112人目は、鈴石大先生であることが判明した。ところで、11,111人目は、どなただろう。今のところ連絡がない。当選の方は、必ずご連絡してください。お願いします。
ところで、今年もあとわずかになった。もう少しなのでがんばろう。都図研の会議は、28日まで続くけど、研究局の皆さんよろしくね。
「鑑賞教育報告書」
21日
昨日、「平成19年度 美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修」の報告書が届いた。(ありがとうございます)発行は、独立行政法人国立美術館。8月6日〜8日の3日間近代美術館と国立新美術館でおこなわれた。主催は、文部科学省、文化庁。
都図研からは、玉置先生が参加。委員には柴崎裕先生が名を連ねている。
現在、「鑑賞教育」の充実が言われている。けれども、実際、美術館を活用している学校は少ないようである。またその条件も地域によって異なるだろうし、そもそも「指導法」がわからないという先生も多いだろう。
この報告書は、実際の授業や教材、研修の様子や内容が記述されていて、実践面でも参考になる。また、長田謙一氏(首都大学東京教授)の論文「覚醒する<眼>、あるいは<視覚性>をひらくこと〜(美術/館/教育)その逆説と可能性〜」などは、「みる」ことをめぐって、制度的、文化的状況を分析的に論考していて面白い。
都図研でも、西洋美術館、近代美術館、現代美術館と連携し、5年間継続で鑑賞研修をおこなってきたが、子どものための「鑑賞」がどのような意味をもち、どのようにおこなうか、については、さらに検討すべき課題であろう。
さて、このたいへん参考になる「報告書」一般の人ももらえるのかな?
(本書に関する連絡先、独立行政法人国立美術館本部事務局研修担当室、〒102ー8322 東京都千代田区北の丸公園3ー1、TEL03ー3214ー2591、FAX03ー3214ー2577。HPは、http://www.artmuseums.go.jp/index.html
Eメールは、 kensyu@momat.go.jp)
平成18年度「子どもの学習費調査」
22日
21日付けで文部科学省の「子どもの学習費調査」のデータが公表されている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/006/07120312.htm
この調査は,公立又は私立の学校における学校教育及び学校外活動のために支出した経費並びに世帯の年間収入の実態をとらえたものである。
調査事項は、次の4点が設定されている。
(1) 学校教育費、子どもに学校教育を受けさせるために支出した経費。
(2) 学校給食費
(3) 学校外活動費、保護者が,子どもの学校外活動のために支出した経費。「補助学習費」と「その他の学校外活動費」に区分。
(4) 世帯の年間収入
学校種別の学習費総額は、幼稚園は公立25万1千円(対前回調査伸び率5.5%)、私立53万8千円(同5.7%)、小学校は公立33万4千円(同6. 4%)、私立137万3千円(前回未調査),中学校は公立47万2千円(同0.6%),私立126万9千円(同△0.4%),高等学校(全日制,以下同じ。)は公立52万1千円(同0.8%),私立104万5千円(同1.0%)となっている。
学校種別の公私比較だは、幼稚園では私立が公立の2.1倍(前回調査2.1倍)、小学校では4.1倍(前回未調査)、中学校では2.7倍(同2.7倍)、高等学校では2.0倍(同2.0倍)となっている。
また、「幼稚園3歳から高等学校第3学年までの15年間の学習費総額」では、すべて公立の場合、約570万円。すべて、私立の場合、約1678 万円となっている。
さらに、「 学校種別にみた世帯の年間収入と学習費の状況」では、学校種別に世帯の年間収入と学習費総額の状況をみると、「いずれの学校種においても年間収入が増加するほど学習費総額が高くなる傾向がみられる」という。
この調査結果をみると、「各家庭の教育費の負担は、重くなり、また、収入によって、子どもにかける教育費に大きな差が生じてきている」ということがわかる。恐らく、「学力の格差」(広い意味での文化資本も)は、こうした「経済資本の格差」に関係していると考えられる。
年収1千万を超える家庭などは、数値的に少数なわけだから、より一層「公教育」の重要性が浮上する。なぜなら、子どもは、出自にかかわらず、みな「平等」であるべきだから。
「テクノコード」
23日
子どもの頃、夜空をみあげると星がみえた。そう、今より東京はもっと暗くよく星がみえたのだ。眼もまだ老眼ではなく、鮮明に空気の揺らぎさえともなって星が鮮明に視覚に投影されていた。
そして、それが、一億光年の彼方にあるものであることを考えると、とても不思議だった。光が、1億年かかって進む距離の彼方にある星が今みえている。それは一体どんな距離なのか。すでに、その星が消滅していたとしたら、今みえている「星」は何なのだろうか。すでに「ない」かもしれない星を現にみていること自体が、摩訶不思議なことではないか。
では、子どもの私は、何をみていたのか? それは、恐らく星という「記号」である。
ヴィレム・フルッサー(1920〜1991)の『テクノコードの誕生〜コミュニケーション学序説〜』(村上淳一訳、東京大学出版会、1997)は、記号についてかかれた書物である。人間は、「記号」を通してしか世界に触れ合えない動物なのだ。フルッサーは言う。
「人間のコミュニケーションは、原理的に、コードとして整序された記号に基づくものであり、人間は、そうしたコードによって織り成されたベール(それは人間を自然から守る機能をもつ)をまとっているのだから、自然的でない動物なのである。【文化】と呼ばれるこのベールは、その性質からして弁証法的である。それは、人間のための世界に意味を与えると同時に世界から人間を守ることによって人間と世界を【媒介】する。」(同書P86)
コード化された記号をとおしてしか人間は、世界と向き合うことができないとすれば、この記号化の歴史的過程をフルッサーは、次のようなコードモデルとして描き出している。(図参照)
(1)世界と人間が溶け込んだ状態。しかしながら、人間は、「異境化1」される。世界を対象化し、距離を取り、疎遠になる。
(2)「画像」というコードの状態。世界から離れた人間は、「画像」をとおして、世界に意味を与えようとする。それは「呪術」的なものであり、それは、世界そのものではなく、「画像」が世界を媒介する。そこでは、「イマジネーション」が重要なものとなる。「画像」を世界と解釈し、かつ、世界を二次元の「画像」置き換える能力。やがて、「画像」というコードが奇矯なものとなり、世界を透明に媒介することができなくなると新たなコードが求められる。
(3)文字による「テクスト」のコード。「画像」的、呪術的世界が、行き詰ると、そこに新たな「異境化2」が生じ、「画像」とは異なるコードが求められる。それが、「テクスト」である。テクストは、世界をそのまま捉えようとするものではなく、「画像」を捉え、説明しようとするものである。それは、「イマジネーション」ではなく「コンセプション(概念化)」する能力である。
そして、「テクスト」は、文字の連なりによって成立するコードであり、「線条性」「時間性」「概念性」などがあげられる。「テクスト」は文字を順次たどるというような時間性をもったプロセスとして語られるコードによって、世界を歴史化する。ここに、出来事を時間的な因果性をもった事象として捉える「歴史」への視点が生じる。
(4)「テクノコード」の時代。「テクスト」が、考えられている画像から、ますます概念的、思い描けないものになり、臨界点に達した時、「世界」を新たに捉えるための新たなコードを求める(異境化3)。
それをフルッサーは「テクノ画像」と名付ける。写真、映像・・・などの今では自明のものである。
そして、「テクノ画像は、他のあらゆる画像と同様に記号からなるものだから、意味を与えることがその特徴なのである。ただし、その意味は、他のどんな画像とも異なる。それは、情景に意味を与えるのではなく、概念に意味を与えるのだ。これは、他のあらゆる画像とは全く異なる存在論的地位を持ち、全く異なる系譜に位置づけられる。これは革命的に新しいコードなのだ。」と述べている。(P174)
「テクスト」に意味を与えるものそれが「テクノ画像」というわけだ。そこが(2)の「画像」のコードとは決定的に異なるところである。
それぞれのコードの段階で、人間の世界に対する態度、距離を「呪術」「歴史」とキーワード化しているが、「テクノ画像」では「???」となっている。
フルッサーは、1992年に交通事故で死んだので、現在のPCによるネット社会を生きてはいないが、どのようなキーワードでくくるであろうか?
けれども、それは「テクノ社会」を生きる我々の仕事かもしれない。
「最近の積読(つんどく)」
24日
今日は、午前11時半から吉祥寺で、「全造連」の事務局レベルの会合がある。吉祥寺は時々、散歩する。絵本専門店やパン屋さんやCD屋やタイ料理屋に行ったりする。
土曜日、日曜日は、ほぼ寝ていた。寝すぎると背中が痛くなるが、頭の芯が少し軽くなる。ほとんど家の外に出なかった。(展覧会でもみに行けばいいのに、行動力がともなわないな)朝3時に起きてこの「ひつじ日記」を書いた。調べものをともなうと、ロウギアな小生の脳髄では、3〜4時間はかかるのだ。真っ暗な時間の中で、書き終わると、朝はいつの間にか白んでいる。(結構いい時間だ)
休みが近づくと、「積読の山」が気になりはじめる。買ったはいいものの手付かずの本たち。(ごめんなさい)CDや映画は、かってに流れてくれるし、絵は、一目瞭然だから、時間がかからない。それに引き換え、本は時間がかかるから、「ひょいと」というわけにはいかない。(荒俣先生のように一晩3冊というわけには全然いかない。天才がうらやましい)
こうして積読の山の一部をスキャンしてみると、自分の非体系的な嗜好、思考がみえてくるようだ。
「ヒエロニムス・ボス」
25日
今日は、終業式。(二期制の学校は、6時間目まで授業らしい!)昨日は、吉祥寺のイタめしやで「全造連」関係の話し合い(時任先生は、細かいところまで綿密に仕事をする人だ)。休みとあって、早々に散会。今日は、確か、滝野川第二小で研究局会がある。研究局もいよいよまとめに入る。よろしくお願いします。
ひょんなところから、「ボス」((私のなかでは「ボッシュ」。ずっとこう呼んでいた)の画集をみはじめる。奇妙な想像力に満ちたその絵は、妙に現代的だ。500年も昔の中世の絵画だというのに。
新潮社の画集で、土方定一は、ボスを「地獄まで歴程する「中世の秋」の人」と解説する。『中世の秋』(中央公論社、1976)といえば、ホイジンガ。ホイジンガといえば、『ホモ・ルーデンス---人類文化と遊戯』(中央公論社、 1963。中公文庫、 1973)。「ホモ・ルーデンス」といえば、「遊び」。「遊び」といえば、我々には「造形遊び」 である。
あっ、話が、それてしまった。なんだっけ?そうだ、ボスだ。うまく言えないがなんか、ひっかかる。それに、画面の光はどこからやってきているのだろう。冬休みの宿題にしておこう。
「研究冊子」
26日
昨日は、北区滝野川第二小で研究局の集まりがあった。終業式、Xマスにもかかわらず皆さん参加していただきありがたい。
いよいよ研究のまとめの時期である。都図研の研究冊子は、なかなかデザインセンスもよく、ヴィジュアルなつくりである。この冊子は、研究局創設以来の伝統である。ARTっぽくて、よくわからないという批判もあったが、他の研究分野とちがい、デザインセンスにこだわるのは、私たちの性質からして、本筋であろう。内容面でもずいぶん改善がはかられてきて、活動の意味や意義を伝えやすくしようとする努力を積み重ねてきている。
今年は、どんな冊子ができるだろう。楽しみだ。また、来年度は、研究局のみならず、都図研の一年間の全貌が見渡せるような報告書をつくりたいとも考えている。もちろんデザインもかっこよく。
今日はこれから東大で「∞のこどもたち展」の打ち合わせ。あさっては、墨田区堤小学校で、その準備作業がある。冬休みだが、三学期に向けて、皆さんの努力で、都図研の活動が推進されていく。
「写経気分!」
27日
疲れてくると何も考えずにできることがしたくなる。「写経」というのはまだやったことがない。が、そんな気分で、手じかにあったHBの鉛筆と落し物の消しゴムと画用紙のはぎれに、カラヴァッジョの「模写」をしてみた。
才能や個性や独創性などというものを考えているとたいへん疲れることがある。だいたいそんなものは、無能な私ごときには備わっていないのだし、描きたいものはない。だから、何も考えないために、描くことがあってもいいのではないか?
たぶん、写経は何かを念じながら、書くこと自体のうちに、没頭することで、無私になる行為にみえる。ということで、無心になるために、やってみたわけである。
ところが、ただ描くことは、できないのであった。ほんとマジできないのだ。邪心というか、なんというか、さまざなものが、意識の中に湧き上がってくるのであった。
形のとり方、明暗の部分と全体、細部の形態、前後関係、質感、鉛筆の硬さ、紙の薄っぺらさ、落し物の消しゴム使いづらさ、そして、カラヴァッジョの偉大さ・・・・うまくいったり、うまくいかなかったり、そんなことを思う自分が出現してしまう。
表現なんかぜんぜんしたくないのに、そこに価値判断する自分が出現してしまうのだ。いいとか、悪いとか、うまいとか・・・。
「今年のMY・BEST3」きつかった編
28日
今年もいよいよ大詰め。そこで、ワタシ的観点から今年のベスト3を考えることにした。(少しは反省しなさい!と声が聞こえる)
第1位「11月の殺人的スケジュール」がきつかった。校内展覧会からはじまり、葬式、関ブロ・都図研大会、熊本全国大会、富山市、三浦市と出張に忙殺された。お世話になりました。学校の皆様、都図研の皆様。
第2位「ひつじ日記」執筆がきつかった。毎日毎日書くというのは、これ結構きつい。担当の菅原先生に支えられてここまできた。ありがと〜。
第3位「もの忘れ」がきつかった。名前も、日にちも、持ち物も、えーと・・・なんて感じが増えてきた。会話していても「あれがさ、こうでさ、あれあれですよね」・・・なんじゃ、ぜんぜん伝わらない。すいません。脳細胞が・・・。
「今年のMY・BEST3」すげーな編
29日
第1位「がんばる都図研」はすごい。全国的に、また、いろいろと図工・美術教育の状況を鑑みるに、都図研は、都図研役員を中心として、会員の皆様の絶大なる協力、ご参加によって、さまざまな、かつ、中味の濃い事業・研究を展開、実施している。内外に向かって、図工のよさ、子どものよさを発信している。冷静に見てすごいと思うよ。
第2位「世相」がすごすぎる。聖域なき構造改革が、社会の隅々に影響を与えている。学校教育もまたしかり。量的尺度で、ものを考えるのではなく、質的尺度という観点からみないと、ニッポンは、道を踏み外すのでは?だけど、世の中には、図工を応援してくれる人もいる。
第3位「時の速度」がすごい。年々早くなる〜。昨日のことがずっと昔のようだ、なんて感じることがよくある。ホントは、もっとゆっくりが好きなんだけど・・・。
「今年のMY・BEST3」ほんわか編
30日
第1位「高田蓮のCDなどお気に入りのミュージック」がほんわか。僕のすさんだ心をしばしなごませてくれて、ありがと〜。オンボロカーで移動の最中がお気に入りの時間。(それにしてもガソリンは高すぎる!)
第2位「仕事がない休日の朝の光」はほんわか。ほんとマジうれしい。午前3時の沈黙・瞑想の時間からふと気づくと、窓の外が白んでいる。朝の光は、希望の光。なんとも言えずすがすがしい。鳥の声さえ聞こえるではないか。なんせ仕事が空きなんだから!
第3位「あなたの輝く眼」は、ほんわか。こんな世相にもかかわらず、あなたは、前向きに、そして、素朴に世界に向かい合おうとしている。だから、あなたの瞳は、澄んでいる。利害や我執からではなく、確かに、いまここに存在することの不思議さに突き動かされて、心が開かれている。それこそ本当の力である。私にはそれがわかる。うれしいね。
「ゆく年、くる年」
31日
いよいよ今年も終わりであります。皆様には、本当に感謝いたします。小生のような小さな豆ランプも何とか点灯し続けることができました。うれしかったり、かなしかったり、きつかったり・・・・さまざまな出来事たちがこころのなかを通り過ぎました。来年も皆様とともに、子どもたちのために、ささやかだけど、いいことができるとうれしいですね。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
(宮澤賢治著、『春と修羅』関根書店、大正13年)
(尚、「ひつじ日記」は、新年1月8日より再開いたします。また、お会いいたしましょう。)
追伸1
28日は、墨田区堤小学校で「∞のこどもたち展」の準備作業があり、都図研の仕事の仕事納めとなった。十時から、四時まで、平面作品の分類、リスト化の作業、立体、共同作品、ワークショップ、「子ども主義宣言」コーナーなどの打ち合わせを日本科学未来館の森田さん、ミュゼグラムの中原さんとおこなった。年の瀬ぎりぎりまで、研究局の皆さんには、たいへんな仕事になったが、熱心に活動していただき、本当にありがたかった。こうした地道な努力が明日の図工をつくっていくのだろう。
昨今、個人的な「業績主義的」「能力主義的」風潮が、社会全体また、教育の世界にも浸透しつつあるが、面白いことに、生ものである子どもと対峙する図工教師は、世間一般の業績主義的な実績(大学院にいくとか、学会で発表しているとか、論文を書いたとか、メディアに出たとか、ある地位にポジショニングしているとかetc)以前に、地味ではあるが、自分の現場で、共同体的な開かれた意識をもち、自己の実践を吟味しつつ、おこなっている人のほうが、ひとつひとつの指導作品をみるとそこに、子どもが息づいた実践を展開していることが、手に取るようにわかる。こうした生きた実践の集積の上に、外部(世間や社会)と接触する活動、事業が展開するのでなければ、「本末転倒」であろう。「ーのこどもたち展」という大きなイベントの作業にかかわるなかで、大切な教訓を得ることができた。
追伸2
29日は、風邪をひいた。昨日で、今年の仕事が一段落し、緊張感が緩んだせいかもしれない。38.8度まで、熱が上がった。小生、子どもの時より熱にはからきし弱く、動けなくなった。しかし、寝ていても、筋肉痛もともなって、腰が痛くておちおち眠っていることもできない。29日、30日とうんうんと寝て過ごす。やっと休みだというのに情けない。少しよくなってきて、TVをつけてみるとNHKの「今年の世相」特集をやっていた。政治家、官僚の事件、失態が目に付く。企業の偽装が目に付く。また、教師の精神疾患による休職の増加が目に付いた。今日は、「大晦日」。来年は、どんな年になるのだろうか。未来は予測するものではなく、創るものだ、と茂木健一郎氏が朝日新聞(31日付け)で述べていた。だとするなら、私たちも希望をもって、思考するしかないだろう。

5月の日記
2月の日記