2007年5月の日記
はじまり・「木と森」
12日
5月8日(火)誠之小で今年度はじめの理事研究会、総会がおこなわれた。いよいよ本格的に都図研がはじまった。2年目に突入である。約80名の参加者があり、少しずつ活気を帯びてきた。それも図工の、また、教育への危機意識の現われのせいか?
理事会への参加の顔ぶれも団塊の世代の見慣れた顔から、若い人たちの顔ぶれへと変化してきているようだ。来賓の全造連委員長:永関先生の祝辞にもそれは現れていた。数年後は確実に新しい世代に引き継がれないとこれからの図工はなりたたないだろう。
新役員は鈴木陽子先生が新たに加わった。理事長の時任先生、副会長の本間先生、庖刀先生、南先生、遠田先生、さらに、各部局を受け持つ先生方によって都図研は、広範で、積極的な活動がおこなわれている。それは、実に、たいへんな手間と努力のいる仕事がである。その実態は表には見えないが、裏方でこうした仕事をしてくれる人がいるこそ、都図研は、全国の造形教育のトップランナーとして、走ることができるのだ。肝に銘じておこう。
「木と森」の比喩を思い起こす。「木があるから、森があり、森があるから、木がある」のだ。図工にあてはめれば、「ひとりひとりの図工専科がいるから、都図研があり、都図研があるから、ひとりひとりの図工専科がある」のだ。
砂漠に、けっして、1本の木だけがはえることはない。個と全体は、有機的な関係性の中に存在する。
関ブロ・都図研大会
13日
昨日の12日(土)は、誠之小で関ブロ大会の会議があった。大会は11月8、9日におこなわれる。一日目の全体会は、東大前の文京学院大学ホールで。二日目は、小学校は青柳小、中学校は茗台中でおこなわれる。
年に一度、都図研大会は実施されてきた。昨年は、北多摩ブロック、今年は中央ブロック、来年は、西多摩ブロック、その次は、城北ブロックというように、地区の輪番で実施され、大会実施の2年前から準備に取り掛かる。すでに、西多摩大会に向けて、西多摩地区の先生方が動きはじめてくれている。(都図研の各地区の自主的な運営力はすばらしいと思う。この先もずっと続いていくことが、教科存続につながるだろう。)
関ブロや全造大会もあるので、東京でおこなわれる大会とかぶっておこなわれる場合があり、今年はそうなった。
関東静地区から、多くの参加者がこられる。充実した大会になることを期待している。そのために忙しい中を、多くの人が動いている。大会とは、ある意味で、図工教育を発展させようとする人たちの思いがつまった行事である。そして、もちろん研究・研修の大切な場である。
今、ベテランの力のある先生方が次々に退職している。新しい先生方が続々と現場に入ってきている。教師の実践力は、研修・研究によって磨かれる。けれども案外、研究、研修の場は少ない。自分から率先して、その場に顔を出してほしいと思う。
歴史的に見ると日本の教育は、「教師文化」のよって育くまれてきたと言われている。多くの先輩や同輩との交流の中で、自分の実践力が磨かれてきたのである。忙しさを理由に、学校にひきこもってばかりいると本当に自分を磨くチャンスを失ってしまう。(10年後にはその結果が出ると私は、これまでの経験から感じている。そうなると手のつけようがないというのが偽らざる実感である。)多くの課題を共にする先生方と交流し、悩みを共有し、指導法を身につけて欲しい。必ずや、そこには「出会い」があり、子どもに、そして、自分に還元できると思う。
その意味で、大会やそれぞれの地区にある図工部会は、現場による子どものための教師力育成の重要な場である。
ふたつの展覧会・デジタルとアナログ
14日
ゴールデンウィークは、2日間だけ時間があいた。そこで展覧会をみることにした。
研究局にメーリングリストがあって、南育子先生から、いくつか「おすすめ」があった。そのなかから、2つみることができた。
「図工の先生はいい商売だ!」と思うのは、展覧会にいくことと仕事が直結していることだ。作品をみて、自らのものの見方を柔軟にすることは不可欠である。といっても、小難しく考えることはない。そこに出かけていって、楽しむことだ。それが明日からの授業につながる。
ということで、二つの対照的な展覧会をみた。
ひとつは、青山、スパイラルガーデンの「木とデジタル」展。
これは、今日、進展するメディア技術をアートとして展開していこうとするものだった。自然がもつさまざまな要素をデジタル技術を媒介させ、環境を新たに創設、提供していこうとするものだった。小カタログで述べられている解説を読みながらみるとコンセプトがよくわかった。私は、いまいち、あいまいな「リーフコード」というのが気になった。他の作品は、「こうなると、ああなる」というのが、わかりやすいのだが、これは、個人をその映像をもとに一枚の葉のかたちに変換し、登録するもので、セキュリティシステムそのものだったからだ。銀行の「指紋認証」とおなじである。個々人はすでに、登録されているか、いないか、によって判断(管理)される時代なのだ。
けれども、このリーフコードはいまいち厳密性がなく、似たようなコードで、違う人がでてきてしまうところが人間的でよいと思ったのでした。(笑い)全般的に、これからの生活自体が、こうした高度なデジタル技術によってつくられていくのだろうと予感された。おそらくそれは不可避なものある。
もうひとつは、デジタルとは、正反対に、アナログ的なアプローチの平塚市美術館、三沢厚彦「アニマルズ+」。木彫というきわめて身体的で素朴な表現が、そこにあった。ここでの機械(技術)は、ノミとチェーンソウでしょうか。みじかな?というか、わかりやすい主題である動物をストレートに表した表現は、鑑賞者に、安堵感を与えるようで、たくさんの親子づれがこの辺境の美術館におとずれていた。動物はかわいいという既成概念をもつが、三沢厚彦の動物の表情は、よくみると「かわいくない」ところが、かえってリアルであった。動物の目つきが、空虚なのだ。
また、木を削るノミ跡は、見るものを触覚的に、その世界に引きずりこむように感じた。先日、東京国立博物館でみた木彫の仏像展と共通するようなノミ跡があり、その意味で、伝統的なものと連なっているように感じた。(ちなみに「宝誌和尚立像(重文)」(西住寺)は、顔が割れて、中からもうひとつの顔が出てくるという仏像。こうしたイメージを創出する力には驚かされる。)
ひとつは、デジタル技術を媒介とした表現、もうひとつは、直接的な身体、ともに「自然」を対象とした表現だった。現在、ものをつくることのアプローチの二側面がみられた。
自省する「戦後教育学」
15日
5月12日(土)の朝日新聞に「自省する「戦後教育学」」という記事が取り上げられていた。
「教育再生会議」に、なぜ「教育学者」がはいっていないのか?という疑問から、現在の「教育学」の状況を述べた記事であった。
確かに、そうした重要な会議に教育の専門家である「学者」が入っていないのは、なぜなのか?
「教育」は、いわば、ほとんどの人が経験する領域であり、それぞれの人がそれぞれに考えをもっているものだ。けれども、それでは、せっかくの意見も、個別的な観念におおわれたものの羅列に終わってしまうだろう。
多数の意見があるとすれば、それらは、いわば、客観化されなければならない。そうでないと、意見は、「立場の強弱」や「その場の勢い、雰囲気」など、きわめて政治的にその方向性が固まってしまうことになる。
非常に危うい状態なのではないか。そんな恣意的な意見で、子どもたちの未来の方向性が決まってしまうのは恐ろしいし、おろかなことである。
さて、なぜこんなことを言っているのかというと、広田照幸という人が、その記事の中でこうした理由について「戦後教育学がもっぱら日教組など革新側の運動と結びついて研究を深めてきたこと、「子どもの発達」など独自の「教育固有の価値」を学問の足場にすえたため、他分野との交流が難しかったことを挙げる。」と述べていたからである。
ちょうど広田の『教育』(思考のフロンティア、岩波書店、2004)を読んだばかりだったので、気になったのだ。そのなかでも同様のことを述べていたからだ。
教育には「社会化機能」と「配分機能」があるというもので、われわれは、社会システム、教育システムとしての「配分機能」に関して、注意をはらってこなかったと考えられるからだ。
造形教育もまた、これまで「教育固有の価値」を主張し続けてきた。発達論的、美術論的にそれはなされてきたように思う。それは、眼前の子どもの育ちにかかわるとき、私は有効な視点であると思う。けれども、一方で社会学的な視点から、造形教育という事象をみていくことも大切なのではないか。それはわれわれが、気にかけてこなかった視点だからだ。
うまくいえないが、これからの「図工」をみていくための視点が見え隠れする記事であった。
いまちょうど、広田照幸『教育不信と教育依存の時代』(紀伊国屋書店、2006)も読み始めたところである。その視点の可否については、今後も考えていきたい。
出会いと仕事
16日
紹介が遅れたが、今年から、都図研ホームページは、菅原亮先生が、担当している。新HP、なかなかいい感じではないか。菅原先生は、めっぽうシャイで、面と向かって話すとモジモジしている。けれども、こんなすごい特技があったとは!HPは、たいへんだが、がんばってほしい。よろしくお願いします。
5年ほど前、時任先生と遠田先生の山奥?の校内展覧会に、偶然、見ず知らずの私の車に同乗しながら、見に行ったのが、菅原先生とのはじめての出会いだった。それが、こうしてHPを担当してくれるとは、その時は、思いもよらなかった。もちろん私自身も「会長」をやるとは思ってもみなかった。そう言えば、今や時任先生は理事長、遠田先生は副会長という重職を担っている。
さまざまな「出会い」が重なって、今という出来事に結びついている。都図研というさまざまな人々の集合体は、さまざまな出会いによってできあがっているのだろう。
たての世代と横の世代から、さまざまな影響を受けながら、自分が今日、このようにあるのを強く感じる。反発することもあるが、それもひとつの自分の方向性を指し示してくれる指標になる。
みんなから力をもらって、こうして今、自分があるのだ。それから、もちろん、子どもから力をもらっていることも忘れてはいけない。
教師の仕事は、ブーメランのようなものだ。と誰かがいっていた気がする。自分のなしたことが、やがて自分のもとにかえってくる。
祝『子ども主義宣言』発刊!
17日
『子ども主義宣言』(三晃書房、税抜き2,400円。FAX06ー6606ー5171。電話06ー6695ー1500)がついにできた!!!
手に取るとずしりとくる。なでまわす。ページをぺらぺらと何回もめくる。いい本だ。と自画自賛する。みんな、がんばったね。ありがとう。
編集長の高橋香苗先生もほっとしているだろう。その努力は、なみたいていのものではなかった。こころから、お礼を言いたいと思う。また、高橋先生をしたって、編集を助けてくれた編集部の加藤先生、島田先生、増田先生、杉山先生、中島先生、山田先生、四宮先生にもお礼を述べたい。みなさんの若いパワーがなかったらできなかっただろう。
この本は、都図研の約60年の歴史を総括するとともに、延々と続いてきたエッセンスを今と未来につなげるために作った本だ。
多くの人にぜひ、目をとおしてもらいたいと思う。こんな分厚い、中身の濃い本が、2,400円で購入できるなんてことは、常識からみて、ありえないことだ。やっかいな編集と発行を受けてくれた出版社の方々にも厚く御礼を述べたい。
さらに、実践編を担当していただいたみなさん、エッセイをくださったみなさん、報告をかいてくれたみなさん、年表をまとめてくれたみなさん、インタビューをこころよく引き受けてくださった外部の識者のみなさん、論文をかいてくれたベテランの先生のみなさん、偉大なる図工の諸先輩のみなさん、ありがとう。
いま時代は「大きな物語」がなくなって、混沌とした時代を迎えている。足元の子どもや図工を真摯にみつめ、がんばりましょう。
研修会とふたりのカリスマ教師
18日
6月15日は、品川、第二延山小学校で、都図研研修会がある。研修局のスタッフが運営する研修会だ。要綱が渡っていると思うが、それをひとめ見ただけで、びっくりする。
授業者の一人は、中村隆介先生。中村先生は、私から見ると研究の最先端を10年以上に渡って、ばく進する人である。『子ども主義宣言』では、「子どもは編集する」分科会を運営した。中村先生の手法?は、子どもが、世界と対峙するとき、その造形的コードを自在に操り、その場の子どもの状況に接合させながら、深くて広がりのある子どもの世界を展開するところにある。子どもに溶け込んでいくその姿はなんとも形容しがたい魅力がある。
もう一人は、ご存知、前都図研会長、鈴石弘之先生。鈴石先生は、F・チゼックや創造美育の自発的な子ども像を念頭におきながら、38年間に渡って、子どもの表現を一徹に追及してきた人だ。表現の環境(学習環境)をどのように設定していくかが、みどころかもしれない。
新旧、両者の授業が、同時にみれることは、今後ないだろう。
さらに、それに加えて、講師陣も必見だ。一人は、文部科学省元視学官、西野範夫先生。「造形遊び」「新しい学力観」を牽引してきた人である。もう一人は、奥村高明先生だ。奥村先生の子どもを根底に置いたお話は、いつも私たち現場に大きな力を与えてくれている。また、水島尚樹先生も子どもに根ざした教育観をもつ、現場の活動に理解を示してくれる数少ない大学の研究者である。どんな研修会になるか、とても楽しみだ。
研修といえば、一昔前までは、染色や皮の工芸などといった実技研が主流だったが(それも大切な文化的な研修だが)、それらが、子どもや授業に直結したものでなかったことも事実である。
それが、今日、研修会は、授業力の向上へと密接に結びついた研修へと変貌しつつある。研究と研修は一体化しつつある。
これは、都図研研修局をひっぱってきた楚良前副会長、鈴木現副会長の功績だろう。今年から、上野千絵子研修局長として、研修局はスタートする。研修局のスタッフの皆さんよろしくお願いします。
それにしても期待感の湧き出る研修会だ。新人のみならず、ベテランも必見の研修会である。
『文学環境論集 東浩紀コレクション』
19日
先日、バレーボールの試合があった。試合前の練習、ボールをレーシーブしたわが親指が「グキッ」。体は、確実に硬くなっている。
けれども、精神は、できるだけ柔軟でいたいものだ。
さて、休日だ。たまには「読書」に励もう。(尊敬する横内先生も鈴石先生も高橋先生もたいへんな読書家だ)。
ものすごくいい本がでた。東浩紀(あづまひろき)という若き評論家の『文学環境論集 東浩紀コレクション』(講談社、2007)である。900ページのBOX入り2冊組みの本である。値段は、2,730円(税込み)。(安いよね。『子ども主義宣言は』もっと安い!)
1990年代以降のポストモダンの社会を実に平明に書いているわかりやすい本だ。難解な現代思想もこういう風に書いてくれたならというお手本。そして、中身も濃い。
アニメやインターネットの世界は、「お手上げだ」という私のようなおじさんにもよくわかる。たとえば「キャラ萌え」。キャラクターに萌えること。(知らなかった)。かつてW・ベンヤミンという人が、「複製技術時代の芸術作品」(1963)のなかで、複製技術の出現によって「アウラの消失」を説いた。(アウラというのは、オーラ。演劇とか、生な人間は対峙するとその背後に、実在感というか、なんともいえない存在の手ががりのようなものを感じる)。だから、複製技術が進む社会では、文化は表層的なものになり、アウラが消滅すると。
ところが、いま「キャラ萌え」という現象があって、表層的なものにアウラを見出す人々の層が世界的に出現している。かつて、深層に宿るとされたアウラが、現在、キャラクターというコピーの表層に宿るのだ。
・・・というように、ポストモダン的な世界はかつての「表層」と「深層」が逆転していることを解読してみせる。
いまを生きる私たちにとって、視座を提供してくれる1冊だ。
「教育課程検討委員会」
20日
本年度は、新学習指導要領の告示が予想される。(なかなか出ないが・・・)よって、都図研では、特別委員会に「教育課程検討委員会」を立ち上げた。委員長に平田耕介先生を任命し、理事会、総会で承認を得た。平田先生は、先の都図研城東大会の研究局長をおこなうなど、バイタリィティのある研究熱心な人柄である。委員としては、各地区ブロック長、他、数名の委員と顧問(横内先生、鈴石先生、鷲尾先生)を予定している。
現在の教育改革は、いままでのものと異なり、社会や政治情勢の枠組みの変化、組み換えと直結している。ゆえに、一教科研究会として、どのように対処していくかは、難しいところだが、動向を見守りながら、対応していきたい。
ここのところ、重要な法案が、成立している。大きく教育の方向性が変わろうとしている。
2006,12,15 「改正教育基本法」成立。
2007.5.14「国民投票法」(日本国憲法の改正手続に関する法律案)成立。
2007.5.18「教育3法案」衆議院通過。「地方教育行政法改正案」(文部科学相に教育委員会への指示、是正要求権を与えるもの)。「学校教育法改正法案」(副校長や主幹教諭を新設するもの)。「教員免許法改正法案」(教員免許に更新性を導入するもの)。
以上のような法改正に基づき、新学習指導要領の内容、方向性も検討されていくであろう。
「学習指導要領」は、もっとも具体的に、現場の学校教育を左右するものである。子どものよりよい育ちをもとめて、現場の視点から、さまざまな変化を注視しながら検討したいと思う。
ファッションと造形の関係?
21日
昨年から、ネクタイを常用するようになった。ネクタイは「記号」である。先方へのメッセージを含んでいる。私の場合、個人の願望というよりも、「組織の信用」という意味がこもる。
ところで今勤務する学校では、子どもの服装にショックキングピンクなどの「ケバイ」色がほとんどない。朝の通勤途上、駅に向かう人もシックな服装が目にとまる。だから、たまに新宿で会議があるとそのエネルギッシュな玉石混合のファッションの洪水に目がくらむ。
「階層で異なる結婚観と服装」<成美弘至ーファッション新論>(H19.5.18朝日新聞夕刊)という小さな記事が目にとまった。つまり、女性の階層による結婚観と服装の類型に相関性があるのでは?というものである。『消費社会から格差社会へ』(三浦展、上野千鶴子、河出書房新社)をもとに3つのタイプに類型化する。
女性の価値観は階層によって異なり、それに応じてファッションも異なってくるというのである。たとえば、若い女性の結婚観は「生存・依存・保存」の3つがあるそうだ。(小倉千加子の説)
1「生存志向」・・・社会的な上昇意欲のない女性は異性を意識しない。同じ階層の男性とできちゃった婚をしたりするのが生存志向だそうだ。このタイプには「はにわファッション」(スカートやワンピースの下にジーンズやパンツをはくもの。形状が「はにわ状」になる。芸術系学生には多い。これを好まない男性は多く、「男ウケ」しない。)や「ガングロ」などファッションがあたるのだそうだ。
2「保存志向」・・・社会でキャリアを築く能力のある女性は、自分の生活がキープできればいいので、結婚は自己「保存」志向だそうだ。ファッションもさりげなく、高級ブランドを持っていたりする。
3「依存志向」・・・もっとも数が多いのは、経済力のある男性と結婚したい「依存」志向で、異性にアピールする「モテ系」ファッションはこのタイプだそうだ。典型的なのは「エビちゃんOL」。(エビちゃん?とは何かと思っていたら、娘が「モデル」のことと教えてくれた。・・・知らなかった。)ところが、格差社会では、高学歴、高収入の男性は同じ階層の女性と結婚しようとするので、結局は「エビちゃんOL」を相手に選ばないのだそうだ。エビちゃんOLは、遊ばれたり、愛人になったりするのが関の山らしいと記事は述べている。
著者は「男性のまなざしなどに左右されず、しなやかな生き方やファッションを選ぶ女性は決して少なくないと思う」と締めくくる。
・・・それで、ここで言いたいのは、「服装」を「造形表現」と言い換えたらどうなるだろうか?ということである。子どものそれも女子に視点をあててみたらどうなるだろうか?このあたりの「ジェンダーと造形」の関係についての研究は、ほとんどないといっていいだろう。どなたか、研究してくれないだろうか。
「You Tube」
22日
いつだったか、NHKでインターネットの世界を特集していた。(番組名は失念した。最近は物忘れが激しい。めがねや鍵をすぐどこかに置き忘れる。私の友だちは、めがねをしているのを忘れて、めがねの上にめがねをよくかけるそうだ。)
その番組の中で「You Tube」というのを紹介していた。これは、動画共用サービスをおこなうサイトである。短い映像が投稿できる。アクセスすると世界中から映像が投稿されている。人気のあるものには、数十万のアクセスが世界中からくる。あっという間に情報が伝播する。TVが、視聴者が世界観をみることで共有する仕組みをもつなら、インターネットの世界は、個別的な点から、個別的な点へつながるものかもしれない。
アメリカの選挙の遊説場面の差別的な発言が、このサイトに載ってしまい、落選してしまうなど、世論形成に大きな力も生じているそうだ。逆に、ヒラリー・クリントンなど、メディア政治利用することに意識的なものもいる。06,10には、グーグル社が16億5000万ドルで買収したそうだ。かように巨額のマネーが動いている。著作権のトラブルも多いようだ。
また、「Second Life(セカンドライフ)」というのも紹介されていた。リンデンラボ社が運営するバーチャルな世界で、ユーザーはその世界の住人になれる。実際に土地の取引や商売があって、利益を上げている者もいるという。もちろんトラブルもあるそうだ。実際の新聞社には、セカンドライフの取材担当というのがいて、その世界の住人になり、その世界の人々を取材しているのだという。人々には、第二の人生を歩みたいという潜在的な願望があるのだろうか?
かくも世界の情報構造は、変化しつつあると実感したおじさんには、はっとする番組だった。はっとしたついでに、「ユーチューブ」に映像が載っていたチェロの演奏のCDを「アマゾン」で衝動買いした。マリオ・ブルネロ『無伴奏チェロ&・・・』というもの。結構いけてる。
都図研HPにも、会員から短い授業の映像が投稿できたら、すごい資料になるだろう。でも、かなりたいへんかな?
荒俣先生の「8勝7敗」論
23日
TVの読書案内番組に、博物学者で、収集家で、小説家で、神秘学者で、翻訳家で、タレントの荒俣宏が出演していた。ニコニコとした表情、巨体、温和で博識な語り口が印象的であった。
いっときは、漫画家で江戸研究家の杉浦日向子とも結婚をされていた。その杉浦女史も逝去された。(確か「お江戸でござる」にでていた和服の実に個性的で優雅な感じの人です)
博物学とは、自然に向き合い、それらを収集し、分類する学問といわれている。日本では「本草学」がそれにあたる。
博物学は、収集と分類をその本質とするが、近代的な科学的知識が、整備される以前は、摩訶不思議な分類法もあったとか・・・。
現在では、博物学は学問としてはないが、自然科学的な研究方法のひとつとして博物学的研究というものがあるらしい。
「植物に雑草という名の植物はない」と述べた植物学者の牧野富太郎や「粘菌研究」の南方熊楠は、その例である。私の家の隣に住んでいたNちゃんも台湾や東アジアに昆虫を採集によくいっていた。「ナチュラリスト」というのも本来、こうした博物的研究を楽しむ人らしい。
こうした人たちの特徴は、自然に向かい、収集と分類にかけるマニアックな情熱であろう。「唯脳論」の養老先生も昆虫の驚くべき収集家である。荒俣先生のご自宅の映像は膨大な量の本と珍奇なオブジェ、資料がごったがえしていた。
ところで、話は変わるが、番組の最後で荒俣先生は、人生を振り返って、こんなことを述べておられた。「相撲で例えると、人生というのは、まあ、8勝7敗でいいのではないかな。」 「8勝7敗」ということばが響いた。「まあ、ぼちぼちと、なんとなく、平穏に、うまくやりなさい」ということか?いまの時代すぐ「勝ち負け」をいう時代だ。こんなことばを聞くとすっと楽になる。
いまのところ、私は、何勝何敗?4勝6敗?3勝7敗?2勝8敗・・・・・・・ぼちぼち、いこう。
研究局と課題
24日
5月も終わりに近づいてきた。都図研の各部局や大会関係も動き始めた。メールやFAXで、派遣依頼や関係文書がたくさん来る。
私は、朝型なので、メールを開くとごそっと入っている時がある。そんな時は、実にあわただしい朝の1時間となる。
研究局も動き始めた。研究局は、都図研の心臓でもある。研究局長は玉置先生、副局長は大畑先生、担当副会長は南先生である。玉置・大畑両氏とも、研究熱心で、実にやさしい人柄だ。歴代の局長をみる。内野・中村(隆)・柴崎・時任・南先生と実にコワモテのパーソナリティ?ではないか(南先生は別だな)。それに比べ、いまや実直さとやさしさの時代に突入したかな?なんて!
研究テーマは「子どもスイッチ」。ひょうひょうとした感じは、玉置風だ。2年目の今年、どんな実践が生まれてくるのか楽しみである。
先日、西洋美術館で夏の鑑賞研修の打ち合わせがあった。継続5年目を迎える。「継続は力なり!」である。少しずつ発展できればいいと思う。西洋美術館・近代美術館・現代美術館の皆様よろしくお願いします。
さて、この他にも、大会に向けての研究や年間を通しての研究がある。ベテランと若手が連携して、充実した研究をおこなってほしい。期待するところ大である。
そこで、研究の成果を会員に、どのように伝え、広げていくかがこれからの課題になるだろう。
このことは、各図工専科にも言える。地区部会や大会参加で得た成果を各学校の子どもたちに還元する。それもさりげなく見えるかたちで担任先生や保護者にアピールする。これも図工専科としての大事な仕事である。
そう言えば、鷲尾先生の「図工通信」は、すごかったね〜。
「靉光(あいみつ)」展
25日
「靉光(あいみつ)」展をみた。誰しも精神に染み込んでいる画家がいるだろう。私にとって靉光そういう画家の一人である。
はじめてみたのは、「キッド・アイラック・ギャラリー」という画廊だった。1975年くらいだったかと思う。渋谷のハチ公口と反対の出口にあった。小さな画廊である。(Kちゃんと行った。Kちゃんは、素敵な女の子。今頃、どうしてるかな?30年もたってしまった・・・)
キッド・アイラック・・・・不思議な名前?何のことはない、「喜怒哀楽」だった。画廊主は、確か、作家の水上勉の生き別れた息子、窪島誠一郎だ。「信濃デッサン館」や「無言館」などを経営する、夭折の画家ばかりを扱う変わった人である。
「無言館」は、戦没画学生の作品を集めた館で、山のてっぺん十字架型に建っている。無名の学生たちの作品を眺めながら、ひととおり見終わると、「あー、もっと絵が描きたかったろうね」ぐっと胸がつまるような思いが立ち上がったのを覚えている。その時、それは、まぎれもなく窪島の偉大なるコンセプチュアルアートだと思った。
話をもどそう。はじめてみた靉光だが、小さな「ロウ画」がいくつか並べてあった。クレヨンを空き缶に熱して溶かし、かいたものだ。「キリスト赤・黒」や「乞食の音楽家」「鬼あざみ」・・・などがあった。小さな画面に絵の具がぴたっとくいついていた。19歳の私は、小さいけれど、何か強いものをそこに感じた。そう言えば、小茂田守介の小さな作品もよかった。地味だけれど堅牢な画面が構成されていた。(こんな作家、誰も知らないだろうけどね。知ってたら、そうとう渋好みですね。)
靉光と並ぶ作家たち・・・たとえば、松本竣介、麻生三郎、野田英夫・・・など、なんともいえない情感をたたえた表現の作家たちだ。そのなかでも、靉光は、独特の強さを感じさせる。
靉光は、画面を重層させ、執拗に描画を繰り返す。対象に肉薄しようとする姿勢が偏執的なのだ。また、実に器用なところがあって、さまざまな様式を使いこなすが、どこかそこには、何かに到達しようと欲する執拗な意思のようなものが感じ取れる。
「自画像」の三連作は、もっとも純化した靉光の特性が結実している。自分で自画像を描いてみればいい。靉光の自画像が普通にみえることの不思議が手に取るようにわかる。顔といい、首といい、その大きく広がった胸といい、このように描けるものではない。
センチメンタルに、たんにそこに自分(人)という対象が表されているわけではない。その画面の強靭さは、靉光が、絵を、そこに絵を描こうとする営みの中にこそ、はじめて生まれたかたちだなのだ。
東京国立近代美術館 5月27日まで。
(追伸:どうして野田英夫の回顧展はやらないのでしょう。)
「ギャラリーTOM」
26日
『子ども主義宣言』が発刊された。皆さん手にとっていただいたことかと思う。感想を聞かせていただけたら、うれしい。
さらに、このプロジェクトは、展示会を企画し、準備をはじめた。(スタッフ:高橋、南、島田、杉山、増田、山田、加藤、中島先生を中心に、他、実践編スタッフ)
「子ども主義宣言〜子どもたちのリアルと図工の時間」展である。
場所は、渋谷区松涛にある「ギャラりーTOM」。2007年7月14日(土)〜7月21日(土)の会期を予定している。
ギャラリーTOMは、視覚障害者のために日本ではじめて建てられた民間のギャラリーである。以前、東京児童幼画堂が共催で「友だち」展という展覧会を開催したことがある。
若い人で、TOMを知らない人もいるだろう。TOMのHPから、文章を抜粋してみよう。
ギャラリーTOMは、盲人(視覚障害者)が彫刻に触って鑑賞できる場所として村山亜土(故)・治江によって1984年に創設され、今年で23年目を迎える私立の小さな美術館です。
「TOM」という名称は大正時代のダダイストのグループ『マヴォ』の代表的なアーティストとして知られた村山知義の署名のロゴからとったものです。十代の後半から『子供之友』に童画を載せていた村山知義はいつも「TOM」というサインをしていました。ギャラリーTOMの名前はそれに由来しています。
ギャラリーTOMの 創設者の一人である村山亜土は、独創的な美術家である村山知義を父に、叙情性豊かな童話作家である籌子を母に生まれました。村山亜土自身も児童文学者、児童劇の脚本家としてもよく知られています。
村山亜土と治江の一人息子、(故)錬(れん)は不運にも生来の視覚障害者として生まれ育ちました。あるとき、錬が「ぼくたち盲人もロダンをみる権利がある」と言った言葉に突き動かされた二人が、視覚障害者のための美術館を設立したというのがギャラリー???の誕生の経緯です。
1970年代の後半から1980年代の中ごろにかけて、日本各地に美術館が建設されて、多くの人々が美術館における美術鑑賞という恩恵を受けはじめていましたが、ギャラリーTOM以外に視覚障害者にとっては美術体験ができる施設はありませんでした。
それ以来、いつでも視覚障害者が彫刻に触って美術体験をできる施設として機能してきましたが、近年は公立の美術館とは競合がなりたたず、運営自体も様変わりせざるをえない状況になってきました。
そのような周辺状況のもとに、現在ギャラリーTOMは視覚障害者の美術館賞の場としての性格を確保しつつ、視覚障害者も晴眼者も同じように体験ができるような先駆的で実験的な方向を求めてさまざまな美術展を開催してきました。(http://www.gallerytom.co.jp/より抜粋)
というように、TOMは、小さなギャラリーであるが、人間とアートについて地道に、そして真摯に向かい合ってきたと言える。
そんな空間に子どもたちのアートが展示される。
「椅子取りゲーム」教育再生会議第二次報告案
27日
「椅子取りゲーム」の夢をみた。あまり楽しくないものだった。
「椅子取りゲーム」は、椅子をそれ以上少ない数の人間が取り合うものである。生き残った者が勝者となる。ゲームに勝つためには、すでに体力があったり、戦術を身に着けていたりする者のほうが、明らかに有利である。ゲームに負けた人間は、見捨てられ、馬鹿にされる。そのために、ゲームに参加しない者が続出してしまう。また、「ずる」をする人間もでてくる。それでは、ゲームがなりたたないから、参加者することの意義や価値を強要する。しかもそれを強要するのは、ゲームに勝ったものなのだ・・・・。
こんなつまらない不毛なゲームの夢をみて、寝汗をかいた。
目覚めたら、下記のような記事が目にとまった。
ひとつは、教育再生会議第二次報告案について(朝日新聞、07.5.25)。そのなかから、「学校教育」の要点を抜粋する。
▽1日6時間・朝の10分、15分の授業実施・夏休み短縮・土曜日の補充学習などで授業時数を増やす。
▽各教科を到達目標で「絶対評価」し、小学校で英語教育を行うなど授業方法を見直す。
▽地域の実情に応じた学校選択性などを導入し教育効果を高める。
▽「学校問題解決支援チーム」を設置し、問題ある保護者に対応。
▽「徳育」を教科化し、点数評価はしない。
▽小中学校で自然・職場体験を実施、高校で奉仕活動を義務化。
もうひとつは、同日付の他の記事。「足立の選択 学力向上 傾斜配分予算で格差も」の見出し。
それによると、昨年の学力テストで足立区は、小学校は、23区中21位。中学校は22位。よって、学力テストの成績の各学校ごとの伸びを、予算配分の判断材料として使い始めたそうだ。
昨年は、配分の一番多かった学校と少なかった学校は、小学校で197万円、中学校で368万円だった。今年は、小学校でその差は、300万円、中学校で396万円に広がったそうだ。
正夢だったかもしれない・・・・。
「都図研ニュース」
28日
「都図研ニュース」というものがある。担当は、中尾公治先生を中心とした広報局が担当している。担当副会長は遠田先生。
中尾先生は、副会長もおこなっていた都図研の歴史と中身をよく知るベテランだ。豊富な経験から的確な記事をまとめあげる。都図研の活動を正確に伝えてくれている。編集の方法をみていると計画的で正確なものにしようとする態度がみえてくる。
定例的な記事に加え、連載ものやイベントの取材などが主な記事だ。近年内容が充実してきて、図工関係者以外の誰が見ても、正確に記事が伝わるようになってきている。これは、現広報局の功績である。
都図研の会員は、約1,300人いるわけだから、その数だけ印刷する。それを地区ごとに区分けして、理事会に用意する。
理事会ごとに、地区の袋が用意してあり、さまざまな資料を各理事は持ち帰り、各地区の図工研究会で配布・活用するシステムになっている。
資料は、都図研ニュースだけではない。大会、研修、研究などのお知らせ、派遣依頼、作品募集・・・・たいていは数種類の資料が袋詰めされる。
ひとつなら1,300枚だが、5種類なら、6,500枚になる。理事会前の準備会では、事務局(加藤先生、福岡先生)や広報局(村井先生、平井先生、角田先生、宮折先生)の少ない人数で、作業が行われる。実に延々と地道な作業が続く。(その他、理事会のないときに配布の必要があるものは、郵送する。時任理事長は、人を集める余裕のない時は一人でやることもある。理事長、副会長、事務局、広報局の先生方、ほんとにありがとうございます。)
こうして、理事会の資料は用意される。「都図研ニュース」をはじめ、さまざまな資料が各地区で有効に活用されることを望む。
日本は、「自殺大国」!
29日
先日、知り合いの図工の先生と雑談していたら、数年前、気分が落ち込んで、自殺でもしたい気分が続いていた時期があったことを話していた。世代は、私と同じく、50歳前半である。
最近は、こうした話をよ聞く。快活だった人が「鬱」だといって、塞いでいることもある。
日本は、「自殺大国」らしい。自殺者の統計の推移では、1998年から2005年までの8年間連続で、実に3万人以上の人が自殺している。
また、WHOの調査では、先進主要8カ国のなかで、ロシアについて、第2位の順位である。いづれも高齢の者に多いようだ。
また、教員の病気休職者数の推移(文部科学省作成)のデータでは、1994年3,596人、96年3,791人、98年4,376人、00年4,922人、02年5,303人、04年6,308人と年々数が増え、そのうちの約半数に近い数が、精神疾患による休職者数になっている。
この8年間というと「構造改革」がすすみ、新自由主義的な経済原則が主流となり、競争原理や効率主義が広がった社会・政治情勢とちょうど符合する。
さまざまな原因があるのだろう。社会的要因、気質的な要因、文化的な要因、情報構造などの要因、家庭的要因・・・・・。
けれども、3万人以上の人が毎年、自ら亡くなっているという事実は、私たちの国が、実は、うつくしい国ではないことを、示しているように感じられる。
人は、やがて、誰でも衰えていく。身体的、精神的に衰えていくことが、マイナスの価値をまとってしまうような社会であってほしくないと切に願う。
「古沢岩美展」と「お化け煙突」
30日
板橋区立美術館で、古沢岩美画伯の展覧会をみた。板橋区立美術館は、区立のはじめての美術館だ。入館料は無料だった。古沢は、先日紹介した靉光(あいみつ)と同じく「池袋モンパルナス」の住人である。
ダリのような超現実的なイメージが展開される仕事だ。けれども、そのイメージは、現実から汲み上げた批評性やアイロニーによって成立しているようだ。
私は、画面に表立って描かれた主題よりも、むしろ、背景に描かれた風景に興味をそそられた。千住の風景や「お化け煙突」が描かれていた。「お化け煙突」とは、足立区にあった巨大な煙突で、見る角度によって、3本にも4本にも見えるというもの。私が子どものころ何故か有名なものだった。今はもうない。
以前、足立区に勤務している頃、ある学校で研究会があった。校庭に巨大な半円形のすべり台のような遊具があった。
それは、「お化け煙突」だった。煙突を輪切りにして解体し、地面に埋め込んだものだった。私は、手で触ったり、上に上ったりしてみた。これがあの煙突か・・・。いまは、記念として、小学校の校庭に遊具としてひっそりたたずんでいる。
というように、古沢画伯の作品は、そのシュールなイメージにまして、私には、大戦前後の東京を連想させる風景画として見えたのだった。
風景画家というと好きな作家に、1930年代の東京の風景を描いた長谷川利行がいる。なんともいえない叙情性をたたえた画風である。放浪の末、行き倒れ、板橋(大山駅の横にある)の東京市養育院板橋本院で孤独のうちに死んだ(S15)。
当時のメジャーよりも、こうしたマイナーな作家たちの表現に何故か真実味を感じてしまう。
「MRI、ES細胞」?
31日
我が全治2ヶ月の親指のギブスがとれた。以外に、回復が早い。若者みたいだ。(は〜っ!)
ところで、レントゲンを撮ったことは今まであったのだが、MRIを撮ったのは、はじめてだった。「これが、うわさのMRIか」(古いっ!)
電磁波で、三次元の撮影や輪切りの映像を撮ることができる。我が親指君も三次元の立体画像が、出来上がっていた。(かけた骨がくっきりと映っていた)
ところで、全身の三次元モデルをMRIで算出して、コンピュータで解析し、映像化できるとしたら、自分そっくりの画像が出来るのだろうか?
さらに、動きをプログラムすれば、自分が主人公のアニメも作ることができる?「セカンドライフ」ではないが、もう一人の自分そっくりの主人公が、仮想の空間で、自分と同じように動きまわる・・・。
またさらに、自分の構造に(何せ、内臓や脳の構造までしっかり映っているのだから)、「ES細胞」で、自分の組織を再生させれば、なんともう一人の自分ができあがる。
人間の不死も間近かもしれない・・・・・・・と病院の待合室で、ずいぶん永く待たされたので、空想癖がでてしまった。でも、「人間にとって、不死は、幸福か不幸か?」また、ちがう疑問が頭をもたげてきた。

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