とずけんどっとこむ

とずけん情報局

掲載されている企画はすべて終了しています。お間違えのないように。

Report

  1. 長野県美術教育研究会&都図研 実践交流会 report
  2. 前都図研会長 鈴石先生「最後の研究授業」report
  3. 「地域からの発信」世田谷区の実践報告
  4. 「全造・関ブロ長野大会2006」 report
  5. 北川フラム・都図研シンポジューム
  6. 「越後妻有アートトリエンナーレ2006」report

過去の情報

柴崎裕先生、H19大学院派遣研修研修成果報告会のお知らせ

1 開催日 平成20年3月27日(木)
2 時 間 午後1時30分から午後4時まで
3 会 場 東京都教職員研修センター 6階研修室

発表者

柴崎 裕(多摩市立多摩第三小学校)
東京学芸大学大学院美術教育専攻美術科教育コース

研究テーマ

「私が子供たちと美術館に行くこと」について
−学校現場における連携授業に向けて−

柴崎先生の発表時間は、15:25〜

尚、参観は、申し込みが必要です。詳細は、下記のリンクを参照ください。
申し込みの締切りは、3 月17日(月)です。
それ以降につきましては、電話にて直接お問い合わせください、とのこと。

LinkIconhttp://www.kyoiku-kensyu.metro.tokyo.jp/subject-etc/et7/h17houkokukai.pdf

東京国立近代美術館の教員向けレクチャーのお知らせ


image001-5.jpg東京国立近代美術館では、4月4日に教員向けレクチャー+観覧(無料招待、要事前申し込み)があります。
以下のリンクに問い合わせて参加してみては、いかがでしょう。

「東山魁夷」展美術館活用研究会

LinkIconhttp://www.momat.go.jp/Honkan/Higashiyama2008/teacher.html

担当者
一條彰子
東京国立近代美術館 企画課 教育普及室
〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1
phone:03-3214-2605 fax:03-3214-2576

時任理事長の図工の記事が、「読売新聞」に掲載

時任理事長の図工の記事が、「読売新聞」に掲載された。

ジャズと200色の絵の具。調布市立布田小の図工授業(東京)

(2月21日付け)
ネットでもみることができる。

LinkIconここをclick!

「∞のこどもたち展」追加情報


SANY0079.JPG SANY0077.JPG 2月24日(日)の「∞のこどもたち展・トークサロン」の際に、季里さんの「図工の時間が教えてくれた大切なこと」という文章を
 原島先生が紹介されました。季里さんに連絡をとったところ、その文章に加筆していただいたものをわざわざ送ってくださいました。

「図工の時間が教えてくれた大切なこと」

爆発させること、収束させること
人とくらべること
人とくらべないこと
時間に間に合わせること
適当にさぼること
得意なことと不得意なこと
美しさの基準は人それぞれということ
普遍的な美しさがあること
色は楽しい・
目的地にたどり着く方法はいろいろある
目的地にたどり着かないときがあってもいい
人と仲良くすること
孤独な時間も楽しい
自分のつくったものが誰かを笑顔(幸せに)すること

まだまだある様な気がします。



季里(きり)
 

  • (ビジュアルプロデューサー)
  • 小学校の先生になるかモノをつくる人になるか…悩んだ末に進学した大阪教育大学(美術専攻)在学中新しい表現の可能性を求めて大阪大学工学部大村皓一氏の元に弟子入り。最初の作品の受賞をきっかけに創作活動を選ぶ。
  • 93年パラッパラッパー/ビブリボン/たまごっちのプチプチおみせっちなどユニークなゲーム制作で知られる七音社設立。現在再びこども達の教育に関わる方法を模索中。「大切なことは全て図工の時間が教えてくれました」

「∞のこどもたち展」東京新聞に掲載

2008.2.24(日)

image002-3.jpg 2月24日(日)から、日本科学未来館で開催の「∞のこどもたち展」についての記事(小林由比記者)が掲載された。
 展覧会の趣旨と図工の現状を辻会長へのインタビューをもとに紹介している。

柴田祐佳先生(新宿区立愛日小学校)の研究発表

image002.png 都図研研究局で活躍していた柴田先生が、1年間研修センターで研究した成果を発表する。ぜひ応援にお出かけください。

平成19年度 東京都教員研究生 カリキュラム開発研究報告会

日 時

平成20年3月6日(木)・7日(金)午後1時15分から5時まで

会 場

東京都教職員研修センター

尚、柴田先生は、3月6日(木)の発表です。
803(1・2)研修室(8階)4:00-4:25

研究テーマ

「児童自ら「感じる」「考える」「見付ける」造形的な創造活動の指導の工夫」
−もの・人・こととかかわる体験的活動を通して−(小学校図画工作)

LinkIcon詳細はこちらから

第57回 東京都公立学校美術展覧会

主催:東京都教育委員会 03-5320-6841

期間 2月13日〜 2月19日

午前9時から午後5時まで(最終日は午後2時まで)

会場 東京都美術館(台東区上野公園内)
交通 JR上野駅(公園口)から徒歩5分

会場の様子

IMGP0041.JPGIMGP0043.JPGIMGP0046.JPGIMGP0047.JPG

明和電機情報

明和電機.jpgクリックすると拡大します。明和電機のファンクラブ会報(電協ジャーナル)に都図研大会の記事が載っていました。
明和電機HPはこちらLinkIcon

都図研・長野県造形教育研究会 交流研究会

日時・・・平成20年2月16日(土)14:00〜16:00
場所・・・豊島区立巣鴨小学校(庖刀副会長校)JR大塚駅より徒歩7分
電話・・・03—3946—9551
内容 

  1. 長野県造形教育研究会実践発表
  2. 都図研実践研究発表(加藤貴子先生、江戸川区立清新第三小学校)
  3. その他

お申し込み不用

第2回 
長野県美術教育研究会+都図研 実践交流会

日時  平成20年2月16日 午後2時〜4時30分
会場  豊島区立巣鴨小学校
司会  時任 勝(東京都図画工作研究会 理事長)

1 あいさつ
  東京都図画工作研究会 会長  辻 政博
  長野県美術教育研究会 会長  寺島頼利

時任

 全造の長野大会をきっかけに都図研と長野の交流がはじまった。おととしが1回目だった。若い世代へ実践をつなげるという主旨がある。昨年は忙しくてできなかった。今年は2回目である。

 昨日、北区の講師に行った。そこで午後5時ごろ新学習指導要領がでるという話しを聞いた。朝の新聞(朝日)の指導要領の記事では、図工の欄が一番少ない。図工は蚊帳の外なのか。
 10年後の改訂に向かって、現場の連携や実践交流の中から運動をおこしたい。
 2月24日(日)から、日本科学未来館で「∞のこどもたち」展を行う。

寺島

 今日は長野が寒かった。熱い思いで長野から来た。長野県でも図工が一番がよい。理科、社会、国語はもともと元気がよかった。このごろ自己崩壊をおこしている。図工と美術は一体となって、題材づくりから、子どもと向き合って研究している。パターンで流す先生も残念ながらいる。
 昨年から美術館との交流で研修会を開催する。
 本日は、お互いに質疑し合い、研究を深めたい。お手やわらかにお願いします。

2 長野県美術教育研究会実践発表
 長野市立松代小学校  野田俊司教諭 
「文武学校を活用した活動」

   
・ 本校の校舎は「文武学校」を取り囲むようにつくられている。日常とは異なる独特の空間である。本校では日々の教育に文武学校を活用している。本校の子どもの実態として、何に対しても楽しんで取り組む。しかし、もっとこだわりをもって活動してほしい。そこで文武学校を図工の授業に活用した。
・ 「120年前から生きている生き物」の実践では、素材集め、途中での鑑賞、文武学校の中で作品づくりを行う、などを行った。A君は「ライオンのような顔の不思議なリス」をつくった。そしてこの作品を飾って、文武学校で美術館を開いた。
・ そして次に、「文武学校を明かりで飾ろう」という活動を行った。道具として「スタンドライト」という機具を使った。造形遊びとの関連を想起させる活動にもなった。「ツリーハウス」では松代焼きの破片を素材として使った子がいた。これは赤い光が壁に映り、場とのかかわりも生まれた。文武学校の天井の構造からの発想で、ミニ文武学校(のライト)をつくる子もいた。「光る絵手紙」にする子もいた。そして、文武学校で2回目の美術館を開いた。
・ 子どもの表現は内から出てくるものと思う。これからも地域素材の活用をし、子どもたち同士の対
話を大切にして実践を行っていきたい。

長野市立三本柳小学校 徳嵩博樹教諭 
「ポケットアルバム」の実践から 


・ 三本柳小は15周年、ボスニアとの交流をおこなっている。主役は子どもであり、学校である。
・ 子どもの表現を残したい、写真に残したい、との思いから「ポケットアルバム」に子どもの写真と作品の写真をいれて記念に残す、ということを行っている。
・ 「ポケットアルバム」には、自分のつくったブロックや粘土作品を撮影して、入れる子どももいる。いろいろな活用ができ、発展している。
・ なぜアルバムなのか? 人と人をつなぐコミュニケーションのもとになる。人づくりが中核である。写真の表情の先に何を読むか? 親の願い、学校への期待、生命のつながり・・・。よりよい未来、社会のあり方を考えていくことにつながるのではないか。
・ 課題は、他校への実践につなげていくことである。
・ 「図工通信」を発行している。目指す教師像は、保護者が美術教育の重要性を理解できるよう、説明できる力をもつことだと思う。
・ 図工美術教師は学校全体をコーディネートできる力をもちたい。多田千尋氏(おもちゃ美術館館長)の講演会を学校で行った。教頭先生の助言で案内状には、「図工」でなく、「遊び」「学力」というテーマを全面に出した。図工という教科内の問題でなく、子どもや社会とのかかわりに視点をおいたことで、保護者をひきつけた。「保護者主義」も大切。

★ 意見交換

岡田

 文武学校に入るのに書類がいるのに中で活動できて、よいと思う。他にも外の活動はあるのでしょうか。

野田

 林の中で自然物を並べる実践などを行っている。

岡田

 徳嵩先生の実践からは、図工の中だけで話していては駄目で、社会の中にどうアピールしていくか考えたいと感じた。

横内

 2月12日(火)の国研(国立教育政策研究所)での発表会から、算数の図形領域において「感覚」、「美しさ」という言葉が使われていた。しかし算数の方々は、芸術的な「美」とは違うといっている。先ほどのお二人の実践は大変よかった。もう一歩ふみこんで、算数での「美」の中心は、図工にあるのだという発信にむけて、さらに活躍してほしい。

高橋

 つくったり表したりする活動には、大人も体験できない、重要なものがある。子どもが成長していく時に、図工には「発見」「ひらめき」「世界が変わる瞬間」がある。
 図工のチラシの戦略は必要なことかもしれない。

大町市立第一中学校  千原 厚教諭 
「作家とともに作品を展示」 


・ 中学校を地域の美術館にするという実践を報告します。こちらで都展を見に行った。驚いたのは人がいっぱいいたこと。子どもの作品を通してやりとりしていた。語っていた。
・ 授業を生活に密着させること、価値づけることが大切だと思う。
(画像とともに実践を紹介)
・ 廊下で絵を乾かすと自然に、廊下を通る人が自由に作品を見るようになる。
・ 絵の具の実践で、書を習っている子は、音楽室に作品を飾りたいと言った。
・ 紙の作品は、日中と夜で作品が違って見えた。
・ 作品を飾るという活動は、造形活動としての位置づけがある。画家や他の教師も展示に参加した。
・ 流木アートの実践を紹介します。雪をかぶっている作品も。(画面を見せながら)
  

長野市立川中島中学校 森  崇教諭 
「川中島白桃PR大作戦」


・ 生徒は、図工はすき、美術はきらい。逆転を何とかしなければ。
・ 川中島白桃が特産。地域再生を図工美術の力でと、「川中島白桃PR大作戦」を考えた。
(画像で実践を紹介白桃のキャラクターのデザインをつくる。白桃の広告に生徒がつくったキャラクターを使用する)
・ 異年齢での活動、地域との共同学習、大学との連携も。
・ 題材に必然性をもたせたい。
・ 自己肯定感、認め合いを取り入れたい。
・ 制作に見通しをもたせたい。
・ 発想段階で友達や外部の人とかかわりをもたせる。学習カードや付箋紙も活用した。
・ 生徒のデザインで、白桃のストラップ。JAが制作。白桃の広告ポスターに子どもの作品を掲載した。子どもは生活に生かされていることを実感した。

★ 意見交換

大畑

 自分もがんばらなければならない。

黒澤

 最近悩んでいる。自分の存在は・・・? 子どもたちが社会とつながっていることを実感するのはすごい。

横内

 新学習指導要領すべての領域で「言語能力」が重視されているが、あまりにも言語活動にかたよるのはおかしい。音楽でも鑑賞を言葉であらわす活動がある。時間数がきびしい中学の美術で大切にするものを考えるとき、あまりにも「言語」にかたよっていないだろうか。

 東京には「都中美」がある。実践交流はしていない。都展の会場では中学は「セット教材」が多い。セットされたものをもってきて授業してしまう。今日の実践では、子どもの「必然性」をどこに見いだしていくかを考えられていた。指導要領の「共通事項」は小学校から中学校まで共通に身につけさせたい能力。内容主義になっては困る。ひな形を追っていくのではなく、実践交流の中から考えたい。

3 東京都図画工作研究会実践発表
江戸川区立清新第三小学校 加藤貴子教諭 
「展覧会でのエピソードから」


(映像を写しながら紹介 口頭で補足)
・ 今回の展覧会は図工専科になって初めてのものだった。
・ 「ときどき図工室だより」を発行している (パソコンでなく手書き)
・ 展覧会で飾るペットボトルの色水を、家に持ち帰っていたら、親が誤って捨ててしまった。普段おとなしい子どもが、とても怒った。
・ オープニング集会 みんなの色水を並べる。ファンファーレ 校長のテープカット
・ 夜の展覧会 やきもの 影あそび 
・ ギャラリートーク (子どもだいすき展を参考にした)
6年O君の作品 じっくりと見る 1分 「何が見えますか?」
O君「最初はサッカーをつくっていた。でもうまくいかなかったので、もとに戻そうとした。白ではつまんないので銀色をぬった。」
母「感動しました。(あんなに話す子ではないので)」 題名「サッカーが・・・」
・ 全校で「造形タイム」
1、2年 線路  
3年 ペットボトル  
4年 新聞で玉を一人10個つくり、防災ずきんをかぶってぶつけあう。新聞紙で家をつくる。  
5年 新聞でタワー(大人が入ってしまう)
6年 スズランテープ カラーテープ・アート スズランテープは、「ピエロ」に再利用
「担任にとって卒業の年に展覧会って・・・モチベーションがあがらない。でも今年は団結できた。」 アートな作文をかく(担任)

★ 意見交換

野田

 (担任の立場から)図工をやると学級が良くなる。ギャラリートークで友達の作品を紹介しあう実践があったが、国語では、子ども同士のやりとりが盛り上がらない。図工では活発になる。自分は担任なので学級の中だけ。全校に思いが伝わらない。

 子どもがやりたいことをみつけてやる。先生が喜んでいられる。子どもが楽しいことをしていて、一緒に楽しめることがいい。他の先生にも影響して、その先生もやってみようとなる。

平田

 全造長野大会で発表をみた。そのときは映画を作っている実践発表で、(予算もかかるので)長野県は力をいれているなあと思った。
 現代美術館に学校の児童を連れていって鑑賞を行った。感想を書かせると、現代美術館の感想でなく、絵をかくことそのものについての感想をかく子がいた。その子は作品鑑賞しながら、いろいろなことに思いをめぐらせているのではないか、と感じた。

 今、学習指導要領へのパブリックコメントを募集している。図工へのコメントを寄せて欲しい。(家族など 教員はできない)どれだけ数が集まったかで、判断の材料になる。メールもできる。

4 謝辞 
東京都図画工作研究会前会長 鈴石 弘之


 ずっと昔、吉田会長の時、山梨県で鑑賞の研修を、一泊で行った。そのくらい元気にやってほしい。胃袋も大切。千原先生の実践、面白かった。小と中がつながっていく。
 作品をつくるということは、子どもが生きていること。人間って何? ということ。

5 おわりのことば   
東京都図画工作研究会副会長 庖刀由利子


 昨日、NHKの「マルセルデュシャン」の番組を見た。「こういう物の見方を考えること、技能だけでなく、生き方考え方が大切なのではないか」と自分の子どもと話をした。
 今日は、ありがとうございました。

アクセス数11,111回記念!

(今度こそ)感謝の気持ちを込めてのスペシャルプレゼント

 2007年5月8日から 都図研ホームページが「とずけんどっとこむ」として生まれ変わり、早くも半年が経とうとしています。
 そして、11月23日早朝に念願のアクセス数1万を突破することとなりました。これもひとえに閲覧者みなさまのご支援ご厚情の賜物と深く感謝いたしております。

続きを読む。LinkIcon

第11回 図工大好き子ども美術展

期日 

2007年9月11日(火)〜10月8日(月)

会場 

こどもの城アトリウムギャラリー

主催 

NPO法人市民の芸術活動推進委員会
財団法人児童育成協会こどもの城

イベント

9月15日(土)am10:00〜12:00

会場:こどもの城アトリウムギャラリー

 文部科学省奥村高明先生をお招きして「ギャラリートーク」を開催します。子ども・保護者を対象として「子どもの表現」の意味を語り合います。
 なお、辻政博会長・横内克之前理事長・中村隆介元研究局長もトークに加わります。

9月21日(金)pm6:30〜8:30

会場:こどもの城11階会議室 参加費:1000円

 パフォーマンスのアーティスト「折元立身」氏を講師にお迎えし、「アートと介護」をテーマにした「フォーラム」を開催します。
 折元氏はフランスパンを顔に縛りつけるパン人間、巨大張りぼての靴を履いて歩く靴人間など、主にヨーロッパで活躍している国際的なアーティストです。
 近年、母親のアルツハイマー発病による介護生活そのものをアートにしています。母親や近所のお婆さんに古タイヤをかぶせてしまったり、段ボール箱にはいってもらったりなどの「ママアート」は介護の労苦を超えてユーモアもあるユニークなものです。フォーラム当日は折元氏のパン人間が見られそうです。

申込はこどもの城造形事業部

  •  FAX03−3797−3055 
  •  mailでもOKです。
  •  finearts@kodomono-shiro.or.jp

辻会長の感想(ひつじ日記「9月17日」より抜粋)

 15日(土)は、青山の「こどもの城」でおこなわれている「第11回図工だいすき子ども美術展」のイベントで「ギャラリートーク」があった。
 話者は、文部科学省、奥村高明先生、横内克之先生、中村隆介先生、辻の四人ではじまった。
 西洋美術館や昔の都美館で、ギャラリートークをおこなった経験があるが、「子どもの作品」を対象としたギャラリートークははじめてだった。
 この企画の先覚は、奥村先生と横内先生。他の企画で何回かおこなったことがあるという。保護者を対象にすると効果てき面で、子どもの絵や表現への理解や共感が、すすむという。
 この日は、教師や関係者が60人ほど集まり会場はごったがえした。保護者や子どもはやや少なく、教員相手のトークの研究会の様相となったが、それも悪くはない。何故なら集まった教員は若い熱心な方が多く、現場に持ち帰って実践できるからである。
 はじめは、奥村先生のリードで、会場に来ていた低学年の女の子の作品をもとにギャラリートークをはじめた。
 まず、絵をみて、気付いたことをどんどん言ってもらう。そのうち、絵を描いたプロセスに話が及ぶ。さらに、材料やイメージ、造形性など、さまざまな観点から話が広がっていく。ただの「平面」の作品が、徐々に「奥行」を持ちはじめてくる。最後に、指導者の横内先生と作者の○○ちゃんの話を聞く。(たくさんのおじちゃんやおばちゃんだらけでごめんね、びっくりしたかもしれないね)
 するとどうだろう、はじめは、ただの「結果としての作品」だったものが、それを描いた「子どもの姿を想起させるもの」に変身しているのであった。
 美術館でのギャラリートークが、「作品」を見ながらも、そこからみるものの想像性や創造性を刺激しながら、観者にとっての意味を作り出していく過程を重視するとするなら、こうした活動と共通した部分をもちながらも、「子ども絵の鑑賞の場合」は、作者である子ども自身の思いや工夫、意味を、また、それに伴う指導者の思いや意味を推察し、理解するための過程であると考えることができるであろう。
 私もはじめての貴重な体験であったが、企画をしてくれた鈴石先生、奥村先生に、御礼を述べたいと思う。

横内克之先生のお話会

期日

9月2日(日)午前10時から昼ごろまで

場所

新宿・花園小学校

テーマ

「子ども主義のルーツをたずねる」

参加資格

 yokouchi_new.jpg特に公的なかたちではおこないませんので、聞きたい方は、どなたでも自由にご参加ください。最後の日曜日、「心の準備」をする意味でもいいかもしれないですよ。

辻会長の感想(ひつじ日記「9月5日」より抜粋)

 2日の日曜日には、花園小学校で、横内克之先生のお話会があった。前にも言ったが、ギャラリーTOMの帰り道、そこに居合わせた人のリクエストで、おこなうことになった会である。公的な研究会ではなく、ざっくばらんな形でおこなったもので、明日から始業式の学校も多い中、15人ほどの熱心な方々が集まった。ちょうど大学院のゼミの感じである。
 かたちは気軽なものだったが、話の内容は実に濃いものであった。『都図研「子ども主義」の系譜』のテーマで2時間に渡ってお話いただいた。(偶然にも、3日のひつじ日記で紹介した水島尚喜先生の書評も都図研の歴史的な展開に触れられている)
 思えば、「都図研」は約60年の歴史をもち、学校現場において、大きな実績をもちながらも、世代交代とともに、実践そのものも消えてしまうという状態にあった。しかしながら、1990年頃から、たんなる職能集団から、実質的な研究集団へとシフトをかえ、今日に至るのであるが、その系譜を検討する機会や人がこれまでいなかったと言えよう。
 そのような中で、横内先生の言説は、これまでの研究とこれからの研究を結び合わせる重要なものであると感じた。
 氏の話の特徴というか、基本的態度は、対象とすべき具体的事象とそれを捉え理解すべき論理性が鋭く交わる点にある。
 この日の話も、まずどのような理論的な枠組みで語るかという前提から話された。西洋哲学や現代思想の流れのなかでまず機軸が設けられる。
 「実体論」(局在論)ー「認識論」ー「言語論」ー「脳科学」へとアリストテレス以来の西洋思想の大きな流れを規定するなかで、近代から現代への思想的な転回点は、ものを実体として捉える「静的なパラダイム」から、「認識論」以降の「動的なパラダイム」への変換と捉えるところにある。
 そこでは「ことば」が重要なキーワードになる。理論的根拠を丸山圭三郎に得たと氏は述べるが、丸山は、ソシュールの言語学(記号学)を日本に移入した学者で、80年台から90年代にかけて大きな影響を与えた。すなわち、「ことば」は、そこに普遍的に実体としてあるものに「ラベル」を貼るというようなものではなく、むしろ、「ことば」こそが、世界を編み出し、意味を出現させるものであるという視点に立つのである。(氏の修士学位論文『言語の枠組みによる美術教育の研究』平成5年に詳しい)
 かくして「実体論」から「関係論」へ視座は転換するのだが、それらを切り結ぶのは「ことば」だけではなく「イメージ」の重要性にも着眼する。なぜならば、造形表現の分野では、イメージこそが、メディウムとして顕現するからである。
 横内理論は、「ことば」と「イメージ」という視座から、子どもの表現、あるいは、美術教育というできごと(テクスト)を読み解くことになる。そこでは、絶えず主体にとっての「意味」が問われることになるのである。
また、さらにこうした態度を深読みしていくと「生命」の横溢というようなものに突き当たる。が、横内先生の態度は、あくまで冷静なものであると私には見受けられた。(「都図研ニュース」07年9月号に掲載の柴崎裕先生の論文「子どもの野生を考える」を読むと同じものに向かいつつも、正反対のアプローチが感じられ面白い)

都図研講演会記録

都図研「子ども主義」の系譜
〜子どもをみつめる都図研の視点と原点〜

講師 横内 克之先生(新宿区立花園小学校)
於:新宿区立花園小学校
2007年9月2日(土)10:00〜12:00
記録:山田智佳子(足立区立江北小学校)
加藤 貴子(江戸川区立清新第三小学校)
辻  政博(文京区誠之小学校)

●講演会要旨
 横内克之先生の本講演会は、『子ども主義宣言』(三晃書房、2007)の発刊に際しておこなわれた、ギャラリーTOMでの記念展示会の「トークショウ」(鈴石弘之氏、穴澤秀隆氏、高橋香苗氏)の延長線上に位置づけられる。
都図研の研究の本質を『素朴の原理』(文化書房博文社、1990)から、『子ども主義宣言』までの研究の推移のなかで、分析し、共通性と時代性の変化を考察したものである。まず、大きな時代的な変化を「動的なパラダイム」への変化と捉え、1990年に発刊された『素朴の原理』を資料にそこで展開された「言葉」と「作品資料」を分析・考察し、都図研の研究を原理的な視点を明示した。さらに、それ以降の各時代の研究に関して、原理的な視点から、各時代の研究資料にもとづきながら、比較検討し、発達観、子ども観、指導観、社会的な状況の変化、学力観などについて分析、考察した。こうした手続きによって都図研の研究を分析・考察することで、都図研の研究の具体的な実践の意味と価値が明確化された。
すなわち、本講演会の重要な意義は、『子ども主義宣言』にいたる図工教育に対する時代状況の変化の中で、都図研研究の流れが子どもを基点としたまなざしにおいて、はじめて系譜的に位置づけられることにより、今後の研究課題が明らかにされたことにある。


1、はじめに 〜「実体論」から「動的パラダイム」への変化〜
このような物々しい会だと思わなかったので、話にくいのですが、今日は恥ずかしながら資料を用意させていただきました。
そのうちの一つは、上越教育大学大学院の修士課程で学んだときの『言語の枠組みのよる美術教育の研究』で学位論文です。その頃、まだ私には図工専科の道は開けていなかったのですが、なぜ、このようなテーマで研究したかというと、「言葉」というものに非常に興味を持っていました。
この頃、今はもう亡くなってしまいましたが、丸山圭三郎さんがF・ソシュールを通じて幅広い「文化記号論」を展開している時期でした。丸山さんの本に出会って、本当にいろんな部分で目から鱗という感じがありまして、教育ということより、むしろ人間が自分というものをつくっていく、見つけていく、あるいは自分が世界と出会いながら形づくっていく、そういう「生」というのでしょうか・・・そういうものを考えていくのに「言葉」ってとても大きな問題だなと感じていました。
子どもとの関係ももちろん「言葉」のやり取りというのもありますし、考えること自体も「言葉」で考えますし、いったい「言葉」というのは人間にとっていったい何なんだろうと、ひとつひとつもう一度、きちんと勉強してみたいということがあったのです。
これは2003年の論文ですので、この時から比べると黒板にも書きましたように、「脳科学」がものすごく発展しています。今回の『子ども主義宣言』にも茂木健一郎さんが文を寄せてくださっていますけど、その頃はまだ、茂木さんは日本の脳科学の世界では登場していませんでした。かろうじて、評論家の方がいるくらいで、研究のありかたも、例えば脳のこの部位を刺激すれば、人間はこのように反応するというようなインプット、アウトプットというような考えに基づいた、非常に粗雑なところで報道がされていたり、市販の本などが見かけられたりしていました。
脳科学にいたるまでの、例えば哲学や思想の流れを簡単にまとめてみると、ギリシア以来、西洋の哲学の根幹をなしていたのは「実体論」です。人間が神の似姿でつくられていて、世界にあるものを「名付ける」ことによって存在するんだと。「言葉」は物に名付けられた「名称」に過ぎないという考え方があって、それがずっと西洋の文明の根底にあったのです。それが、「認識論」、言ってみれば存在論なんですが、「存在というものが人の認識によって変わる」ということが明らかになり始めて、やがてそれが、「言語論」に置き換えられるという過程が生じてきます。「言語論」に置き換えられて、結局、その先は「脳科学」の分野で、言語も認識も含めて語られているのが現状でしょう。
ただ、先ほど言ったように、西洋哲学の根幹にある実体論は非常に根強いものがあって、例えば、僕らの仕事の中でもここから抜け出せないものがある。子どもにひとつの題材を与える時に具体的にイメージを与えて、そのイメージに追い込んでいくという方法は、実体論に則した考えだと言える。子どもが物や人や自分を取り巻くものと関わりながら、対話などのやりとりをしながら、イメージを形成したり、行為を展開したりしていくということについても、なかなか相容れない考えをする人がまだたくさんいます。
そういうところにつながるように、おおもとの「実体論」に対してどう自分の中で整理していくかは大きな問題だと思います。ここで考えなくてはいけないのは、心理学などでもそうですが、かつての心理学では、静止した、被験者が止まった状態で、対象として観察され、そこから得た結果に対して心理学という学問がつくられていました。でも、そういうことも、今はお倉入りになっています。つまり、学問を形成している「パラダイム」が変わってきているのです。
何が変わったかというと「静止」から「動」に変わったということです。「動的パラダイム」に変わった。もとにあるのは、例えば、西洋哲学では、ベルクソンが言うような「生命論」の問題です。例えばプラトンは「イデア」というものを認めて、それを自分がいることの存在の証明としましたが、生命論でいえば、こういう風に思っていること自体が、実はもうそこに不確定な要素を含んでいることになります。いろんなものが、あなたがいるから私がいるという相対的な関係の中で語らざるをえないということが生じてきています。
堅苦しい話をして申し訳ないのですが、実は、そういうものを背景に抱えながら、都図研の研究がなされているんだということが、これから話す中で見えてくると思います。

2、『素朴の原理〜子どもの表現のリアリティをめぐって〜』(1990年、文化書房博文社刊)
今日まず話をしようと思っているのは、前回、冗談で2時間かかると言ったのですが、30分ほど話をさせていただいたときに『素朴の原理』という本をもう一度都図研の原点としてとらえ直して、子どもを見つめなおしてみようということで取り上げてみました。
今日は『素朴の原理』に関わっている鈴石弘之先生、辻政博先生がいらしているので足りないところはぜひ、補っていただきたいと思います。レジュメにもありますように、元都図研会長の吉田宏先生、すでに故人になられてしまいましたが、ここに先生の巻頭言があります。吉田先生は、私は存じないのですが、ここには旧知の方もいらっしゃいますが、吉田宏先生は東京芸大で教鞭を執られ、本当に優れた教育者であり、実践者であったと伺っています。吉田先生の言葉にありますように、『素朴の原理』をつくった教師たちがどのように子どもを、子どもの作品を見ていたのかというのが垣間見ることができます。
「実際に子どもの作品を持ち寄って、鑑賞し、喋り、関心したり、笑ったりしながら分類した。」ほんとに子どもの作品を楽しみ、それを通じて子どものことを語ることを楽しんで作業したという、当然苦しい部分もあったと思いますが、基本的に子どもに対する温かい愛情があったということが文章から感じられます。
そこで、検討された「分類」ということが、本当に『素朴の原理』という本のすぐれたところだと思います。ここに分類されていることが、この後の都図研研究局の研究に深く関わっていることがよくわかります。それで、ひとつひとつ見ていきたいと思います。
大きく8つの分類がされています。
情景、?感覚、?開放、?不定形、?心理、?コラージュ、?素材、?調和」の
キーワードでくくられています。その分類がどんなことを指しているのかということですが、ひとつが扉に書かれた詩的な文章で、これはいわば抒情的な子どもへの愛とも言えますが、その後の本文には分類にあたって、その分析が述べられています。みてみましょう。

(1)「情景」について 〜発達段階の捉えの変化〜
例えば、「情景」というページを開くと、動物の絵の資料が目に入ります。『素朴の原理』というのは、いろんな部分で刺激的な本です。これは、ぞうさんですよね。ぞうさんのおしりに大きな「うんち」が描かれています。それで、普通、私たちが子どもの造形活動の中から切り捨てたり、疎外したりしようとするものが『素朴の原理』には多く意図的に盛り込まれています。
もっと刺激的なものがあります。これには正直、ほんと僕は「どきっ」としました。おそらく、日本の造形美術教育の本にこういう「首が切られて血がほとばしっているような絵」を載せた本はないと思うのですよね。こういうところに当時の大きな批判があったと思われます。この辺のことについては、ぜひ、鈴石先生の方から詳しく教えていただきたいと思いますが、こういう部分も含めて、「子どもの全体」を受け入れようというのがこの本の骨子です。
また、最初に戻りますけれど、このような「情景」というのから始まって、その後に都図研の活動に見られる様々な題材がたくさん出てきます。それで、キーワードとして領域を挙げている中に、例えば、「情景」でしたら、「感覚印象」とか「情景描写」とか「自己の感覚」とか「独特な把握のパースペクディブ」、「対象との距離」とか「それぞれの子どもの発達過程や生活感覚」というキーワードを拾うことができます。
いま何気なく読んでみましたが、「それぞれの子どもの発達過程や生活感覚」という表現をひとつ取ってもこれが何の意味をするのか充分に考えてほしいと思います。今、子ども論を語る時に「発達過程」、あるいは「発達段階」というのは、非常に大きな意味を含んでいる言葉で、これについては、良心的なというのでしょうか、現場に則して、現場から大学に進んだり、あるいは現場に則して教育研究をしている方の多くは、発達段階に関して、懐疑的であったり、新たにとらえ直そうという意識が多くみられます。
『素朴の原理』に見られる「それぞれの子どもの発達過程」という言い方、これはつまり、個々の子どもが育つということです。個々の子どもが育つ過程で得た経験あるいは、個々の子どもが身につけた力と言い換えてもいいかもしれませんが、そういったことが結局、パースペクティブつまり、個々の地平として絵に表れるんだというのが、ここでの言いたいことです。「独特な把握」というのはそういうことです。
個性というように僕らはひとくくりにしますがその個性ということの中には述べられているように個々の子どもが個々に獲得したものというのがやっぱりあるわけで、それが、実は、後ほど出てきますが、「教材」、「題材」というものの過程で、だんだんないがしろにされてしまうということがあるわけです。
それを最も端的に言っているのが「発達段階」です。発達段階というのはつまり、9歳児ならその子どもにはこのような力が付いているであろう、望ましいであろう、あるいは、付いていなくてはならないというような、規定したものの考え方です。
先ほど言いましたように、こうした考え方の背景にあるものが何だったかというと「実体論」からきている研究なわけです。その辺のところを私たちはよくもう一度考え直していく必要があると思います。『素朴の原理』で述べられているのは、こうした実体論ではありません。

(2)「情景」について 〜身体性の問題へ〜
今、「情景」をみましたが、次に「感覚」という項目が出てきます。感覚を見てみましょう。「感覚や触覚などの身体感覚」、「感覚与件」、「個別な感覚の表出」、「感覚のざわめき」、「自らの意思や直感力」、「選択」、「関係付け」、「主体性の確立」、「普遍的な世界との関係が結ばれる」、「内面の欲求」など、ここには非常に多くのキーワードが含まれています。そして、「感覚」ということで「身体論」が出てきています。
この身体論というのが「動的パラダイム」から始まる、生命論につながるもので、現在の生と思想を形づくるもとになるものです。都図研の研究局でも、「身体性」という考え方を研究局の各時代の局長が非常に大事にしながら、その時代の研究局のキーワードにつなげていることが、後ほどわかると思います。
また、個の個別な感覚というキーワードが出てきます。ここには「個別の感覚の表出」という言い方が見られます。「表出」以外に表出と並べて言われる「表現」というものがあります。表現と表出と対比的に用いられることもあるのですが、「表現」と「表出」を、この流れの中に位置づけるとしたら、「表現というのは、意識に根差したもの」であって、「表出というのは欲動に根差したもの」と捉えることができます。
「欲動というのは無意識を生み出す力」というように捉えられています。つまり、ここにある「表出」という言葉は、そういう「身体の無意識の部分を前提にした言い方」であると考えることができます。それが、「感覚としての造形」につながっているところをこの部分では触れているわけです。
先日の北多摩大会の研究授業で、都図研の研究局の若い人たちの実践の中でも、横道さんの「線」の実践がありましたよね。今、振り替えると、つながっている部分が感じられるように思います。

(3)「開放」について 〜子ども観について〜
 次に「開放」というのが出てきます。ここでの「開放」とは「規範」に対する開放という意味です。規範が何を意味しているかというと、教育が抱えている矛盾としてアカデミックな規範ということで、述べられています。
つまり、「教育」は常にあるものを子どもに教えるという行為ですし、教えるという行為の中で、美術教育、造形教育が子どもを開放するという方向を目指さなければいけないという、相容れないものを抱えているんだということです。
「未熟な大人としての子ども」という言い方も出てきます。これも「人間観」として、子どもをどうとらえるかということにつながっていくと思います。「子どもは未熟な大人である」、ですから、大人にするためにつまり、表記としての「大人」にするために、足りないところに「詰め込む」んだという考え方があるのです。
実は、ここのところで一時流行った言葉が「タブラ・サラ」という言葉です。「タブラ・ラーサ」とも言いますけど、「白紙」の状態、子どもを白紙の状態ととらえて、そこに書き込ませる、あるいは「箱」ととらえてそこに詰め込ませるというのが教育の重要な役割であるというのが前提にあります。
ここでの「開放」というのは、「子どもの内側にあるものを開いていく」という、全く、その相容れない考え方ということがよくわかります。
この辺の歴史的な比較のなかで述べられている「戦後の美術教育の創造主義的な傾向」とは、「創美」(創造美育運動)のことを指していると思います。「創美」のことは、ここにいらっしゃる鈴石先生が詳しいと思いますし、そのことについては『月に吠える』(文化書房博文社、2007)の中でも、詳しく述べられています。それで、そのもとにあるものが「人間観」であるということが、その「開放」という考え方の中によく見えると思います。
「開放」というページをめくってみましょう。この本は「素朴の原理」という題名がついていますが、一枚一枚めくっていると、本当に子どもらしさっていうのでしょうか、素朴って言ってしまうのが、もったいないような、造形活動が見られます。

(4)「不定形」について 〜意味作用へ〜
 次に出てくるのは、「不定形」というキーワードです。不定形は、そこにあるようにスクリブルから生じるストロークという造形要素に関係する部分が出てきます。ただ、線の動きや造形の要素としてのスクリブルやストロークではなく、先ほども出てきました、表出ということにも結びつけて、「内的なエネルギー」がそこに出るんだと。そこにひとつ、子どもをどう見るかという重要なキーワードが出てきます。
その子どもの内的なエネルギーが表出したものを「人間の持つ象徴的な能力」と捉えたときに、そこにどのような「意味作用」が働き、どのように形成されていくのか、それが、「不定形の運動」として、ストロークという造形活動を形づくっているということがここでわかります。他の作品図版を見てみても、こうしたことが感じられます。

(5)「心理」について 〜子どもの生の全体性にむかって〜
 そして、子どもの内面ということから、「心理」ということが出てきます。この「心理」という言葉の中にも、非常にたくさんのキーワードが含まれています。
「意味記号」、「無意識」、「社会的な意味」、「反社会的」、「グロテスク」、「表現そのものの疎外」、「隠蔽」、「具体的に実存する個別的な生き様をもつ子ども」、「発達段階からこぼれ落ちる生の側面」、「強力な制度化装置として作動する教材」、これをどういうふうに捉えるかといいますと、先ほどから出てきていることにつながると思いますが、表現においては、子どもの内的なものを開放し、それを造形活動に結びつける時に、そこにグロテスクなものが当然、含まれるんだと。
それを表現そのものから疎外したり、あるいは隠ぺいしたりしてしまうことが子どものその存在そのものを否定することになるんだということがここでは述べられています。
ここでは、「具体的に実存する個別的な生き様を持つ子どもという表現」が出てきますが、非常に強い表現ですが、先ほどから言っている発達段階ということを前提にするのでなく、個々の子どもたちの個別の体験、あるいは経験、それが生の側面という言い方で述べられています。
例えば、図版の表現に見られるような激しいものを含めてウンチなど、子どもの生理的なものに結びつく表現があるわけです。また一方で、「教材」というものを私たちが考える時に、「強力な制度化装置として教材が作動してしまわないか」という大きな問いがあります。
実はこの辺のところを追及すると、これは、鈴石先生がいますので、非常に言いにくいところもあるのですが、鈴石先生がずっと、野々目先生の提唱されている子ども観に基づいて、子どもの本当に直な開放というものの中で造形されたものをとらえ、読み取り、その中で子どもの個々の育ちというものを確かなものにしていく営みと、教材として子どもに提示した時にそこに否応なしに含まれる、造形要素や造形性として出てくる「造形主義」というものとの相克というものがここに感じ取れます。
まわりくどい言い方をしましたが、この辺のところが都図研研究局のいつも抱えているものなのかなと思うわけです。それで、子どもというものを中心にすえて、子どもの中から疎外したりあるいは隠ぺいしたりするものに、それを目をつぶって子どもの造形と言ってしまうことに対して、私たちはどう考えていけばよいのか、今日皆さんからもご意見をお聞きしたいところです。
「心理」の作品を見てみましょう。子どもの絵の中にある無意識をどう読み取るかということについては、これは非常に経験と知見を要する行為というか考察ではないかと僕は思います。そこに至るようなそのプログラムというものが今までなかった。あったとすれば、「創造美育」であったと思うのですが。やがてだんだん、細くなっていく。それもひとつの問題だと思います。

(6)「コラージュ」 〜テクスチュアーと動的パラダイム〜
次に造形要素として唯一「コラージュ」という言葉が出てきます。ここで言っている「コラージュ」というのはいったい何かと言いますと、図工では、そこにいる平田耕介さんが研究会で出してくれた資料で今までの学習指導要領で示された「領域」の変遷というものがあります。
現在、「A表現、B鑑賞」という1,2とふたつに分かれて非常に大きなくくりになっていますが、もとをただすと親学問である美術の分類に従って彫刻、デザイン、彫塑等のそういう中で図工も始めたわけです。
そういった「大人の美術の形式分類」というのが領域で、子どもをしばっているけれども、あるいは図工をしばっているけれども、造形活動そのものを見ると非常に断続的で不連続な材料から生まれるようなものも見られるんじゃないか、ということをここでは言っています。
「コラージュ」というものを特に取り上げているのは、コラージュというのが、「固定化した現実の関係を活性化させる」というように考えられているからだと思います。固定化した関係を「動的パラダイム」として、捉えたのが「コラージュ」であるということを言っているのです。
コラージュを構成するもとにあるものは、ものの質感です。7月のギャラリーTOMでの「子ども主義宣言」トークショウで高橋香苗先生と鈴石先生と穴澤秀隆さんとのお話をされた会の時に、美育文化の穴澤さんが都図研は色や形からもうひとつ大きな要素として、「テクスチャー」を付け加えたというのが、最も大きな成果じゃないかとおっしゃっていますが、実はここにあるように、「コラージュ」というというものの背景にあるものは、ものの持っているテクスチャーであり、結局、それが、動的パラダイムとしてのイメージを動かすんだと言っていると僕は思います。

(7)「素材」について 〜ものからの広がり〜
「コラージュ」に関係して「素材」というものが出てきます。様々な描画材、材料がここでは出てきます。この辺のところが実は、「造形主義」とからめて、都図研の研究局の非常に大きな研究の柱です。これまでずっとあり続けた柱であり、それが、非常に大きな成果を上げていると思います。これも、根源としての「物質」、ものです。その「もの」からいわゆる、「遊び」、「探究心」、「好奇心」、「豊かなものの見方」や「感じ方」が広がっていく、これはコラージュで述べられていることと同じ論です。様々な「もの」(素材)がここには載っています。この「もの」に関しては本当に研究局の各年の冊子を見てもわかるように多様なものが登場しています。

(8)「調和」について 〜個別から普遍へ〜
 最後に「調和」というキーワードが出てきます。ここが何を意味するかというと、非常に大きなものを含んでいまして、今まで声を大きくして一人一人の育ち、あるいは、子ども一人一人の成長、発達と言ってもいいのですが、そういったものが子どもの造形であるということを述べながら、実はここで、そういったものを超えて、「普遍的に存在する造形性」ということを「調和」という言葉の中で述べています。
「普遍的な原理としての造形的な要素自体の関係」、「美術が持つ独自のコミュニケーション」、「美術に内在する普遍的な感性を陶冶していく働き」、「子ども自らが関係を自覚し発見する」などなど、ここで言っていることは、「子ども主義宣言」につながっていく部分であると思います。
動的パラダイムがあるということは「拡散」するということです。個々の活動として、拡散する時にそれは「制度」になりえない。
造形性というものを制度と結びつけることが「調和」ということです。制度になるということはつまり、「学校の教育課程に位置づけるという根拠を持つ」ということです。個別のことであるならば、私事のそれぞれの体験であればよいわけで、それぞれの育ちの中で経験すればいいことです。
けれども、そうではなくて、「学校制度の中に位置づけるものが調和」という考え方だと思います。そのため全体としてあるのが「普遍的な原理」であり「造形性」、「造形要素」ということです。色や形、テクスチャーという全体のそういった造形の要素を結びつける時に普遍的なものがそこに現れるということです。実は、僕はそこに「言葉」というものがあるのだと思うのです。
以上みてきたように、この『素朴の原理』は、8つのキーワードをもとにくくられているわけですけれども、これがいかに重要な要素を含んだ本であるかということがお分かりにいただけるかと思います。

3、90年前後の時代背景 〜「造形遊び」と「ワークショップ」〜
1990年は非常に大きな変化の時代であり、前の指導要領が改訂されて、図工であれば、「造形遊び」が入って、教科書に位置づくわけですが、「造形遊び」を位置づける背景にあったものは都図研がつくった『素材に出会った子どもたち』(1981年、文化書房博文社刊)という本です。
1981年、つまり90年に至るまでに、「造形遊び」や都図研がおこなった「ワークショップ」が活動の中心になりつつあったということがわかります。「造形遊び」を文部科学省の立場から指導要領に位置づけた功績者の一人として、板良敷敏先生がいます。板良敷先生が大阪教育大でおこなっていた時の活動に「DO宣言」というものがあります。

*美術教育は子どもを行為に駆り立てることである。造形活動は行為に発し、行為に終わる。色や形による表現は今日、風化しているといえる。美術教育は現実に立ち向かう力を培うことである。色や形で子どもを縛るのではなく、行為するエネルギーをコントーロールすることができる力を獲得させることである。それが、机からの解放を意味し、環境やものに目を向けさせることである。美術教育は明日に役立たない教育である。活動の無目的、色や形に対する無制限、従来の効用感(注:下線部分聞き取り不明。記録より)に対する、無意味なものの中に子どもの興味関心を見出すことである。われわれは指導者であるよりも、時間、空間、素材の提供者でありたい。

これはなんと今日的な言葉でしょうか。1980年代にすでにこのようなことがあったということが驚きです。こういうことが「造形遊び」のバックにあるということです。「造形遊び」が登場して、板良敷先生の「DO宣言」、それから都図研の「素材に出会った子どもたち」のワークショップの中で90年代を迎えるわけです。

4、都図研研究局の流れ
(1)内野務研究局長の時代 〜子どもにARTが生まれるとき〜
90年代半ばに都図研「研究局」が立ち上がります。都図研研究局は1995年の2学期に発足と、「子どもにARTが生まれるとき」という冊子には出ていますが、「子どもにARTが生まれるとき」という冊子が作られるのは1997年です。この辺の比較を年表で見てみます。
1995年都図研研究局が発足。5月の理事会で承認され、そのあと、準備委員会が持たれて、内野務先生は第一回の研究局局長として9月に就任し、研究局のメンバーが集まって様々な活動が始まって、その活動が「子どもにARTがうまれるとき」の冊子にまとまったのが1997年になります。
1997年はすでに2代目の中村隆介先生が局長になっていますので、おそらく1997年の発刊にはなっていますが、1995年の後半から1996年にかけての活動が「子どもにARTが生まれるとき」に集約されていると考えています。ここのところで、もし、異なることがあれば、鈴石先生、教えてください。「子どもにARTが生まれるとき」というは、これも鈴石会長の言として、扉に書かれている「私ということ」の文章に非常に重要なことが含まれています。
鈴石先生のお好きなランボーの言葉を挙げながら、そのあとに、「子どもは誰でも望んでこの世に生まれた存在ではなく、生まされたのある。子どものそのような感情が芸術や科学を喪失させると言ったのはリードである。独自な子どもの世界を擁護し表現を保障してあげるのは子どものような図工の教師しかいないのであると自覚するべきである。」と。これは、まさに鈴石先生の言葉だなと痛感します。
この辺のことについては、『月に吠える』(文化書房博文社、2007)の中にH・リードの主張が詳しく述べられています。『月に吠える』を通じて学んでいただきたいと思います。鈴石先生はここで「私」というキーワードを掲げています。私ということと、子どもを結びつけた文章が、ここで述べられているのはとても大きなことであると思います。
これがこのあとの『子ども主義宣言』につながり、都図研の研究の一つの柱につながる流れだなと感じております。7月の研究会の時にも確認したのですが、「子どもにARTが生まれるとき」に使われた「ART」という言葉が非常に大きな反発を生み、今だに「ART」という言葉に対する反発を引きずっている方が多いというふうに聞いています。けれども、その「ART」という言葉がいったい何を意味しているのかというと、内野務先生の文章だ思うのですが、明確に述べられています。
ここで出てきている言葉が「いい感じ」です。
<子どもの絵の「いい感じ」の立ち現われ・・・子どもの行為の跡形に接した私たちに立ち上がる「いい感じ」・・・ものや形の揺り返しの中で立ち現われる「いい感じ」をARTという言葉に置き換えることができないか>というものです。
つまり、「ART」とは、「子どもに向かうものと子どもが向かうものとの関係で生成されるもの」ではないか、ということを述べているのです。「関係生成としてのART」とは実に人間にとって身近なものではないでしょうか。
そして、なによりARTとは「一方的に外界から押し付けられる構造ではない」と言っているのです。「子どもにARTが生まれるとき」とは、その生成には大切な背景が必要ではないかということで4つの分科会が設定されています。
その4つの分科会もその当時の研究局のメンバーで検討し、掲げられたものなのですが、先ほどまで確認してきた『素朴の原理』に深く根付き、通じています。
はじめに、子どもの身体論。子どもが子どもに気づく、つまり、ここで子どもの「私」が出てきます。「私」ということの中ではさらに小さな分科会がつくられています。ひとつはネガティブな欲求、これは欲動と考えていいと思います。無意識の欲動としての開放、それから、身体論からくる、子どもの体性感覚の覚醒。触感的な視覚的な部分を含んだものですね。それから、行為におけるアンビバレンスの感覚体感。私の中に相反するもの、相容れないもの、つまり、動的なパラダイムのことです。
それから3番目は、子どもは「今をつかむ」ということで、「今」という言葉がここに出てきます。4番目が、「子どもがアートに出会うとき」。ここに出ているのは先ほど述べたような普遍的なものとしてのアート、個々の子どもの中に内在するアート、そのふたつについてここでは明確に述べられています。
1995年に発足した都図研研究局の中に子どもを「アート」という言葉でくくりながらその背景にあるものが『素朴の原理』にあるということが言えると思います。
どんな作品があったのか見ていきましょう。「身体的な活動」、「造形遊び」、「当時のワークショップ」、「素材と触れあう」、「ものと触れあう」、「ものと環境」、それから「行為」ということがこの活動からみて取れます。「行為としての造形遊び」、「ワークショップ」が多く見られます。
「今」という言い方をどこでとらえるか言いますと、動的パラダイムというものを捉える考え方として、「通時的」と「共時的」というとらえ方がありますが、「通時」というのは、時間の経緯に従って過去から未来へというひとつの方向を持っています。「共時」というのは、その瞬間、私と他とのまわりとの関係の中で生成する意味のことを指しています。この「今」というものは共時的な考え方なものであるということがわかると思います。この辺の感覚が「私」というものであることがだんだんはっきりしてくると思います。
「子どもにARTが生まれるとき」の次に中村隆介先生の時代になります。

(2)中村隆介研究局長の時代 〜造形主義の顕現〜
歴代の研究局がどのように子どもを捉えていったのかを見ていきたいと思います。内野先生が立ち上げた研究局を引き継いだのが中村隆介先生です。年表を見ながらお願いします。内野先生の時代に『くるくるアート』(パルコ出版)が出版されました。辻先生が大きく関わっていらっしゃいます。この本の刊行は、都図研のひとつのメッセージとして、「子どもにARTが生まれるとき」と同じでひとつの形にしたものと捉えることができます。
このあと、積極的にいろんな美術館との連携が見られて、1995年か1996年に「Art Trip」という本が出ています。これは、伊勢丹美術館との協力でつくられたものです。こういった活動を経ながら、西洋美術館、東京国立博物館との展覧会の企画コラボもあります。セゾン美術館との連携についてはその後、鑑賞キット「あそびじゅつ」がつくられて、各学校で希望したところに回して、言ってみればセゾン美術館が目指した現代アートを積極的に楽しむという楽しいキットでした。
残念ながら、伊勢丹美術館もセゾン美術館も閉館になってしまいました。そういう閉塞的な時代の流れの中で、美術館とはいったん距離ができてしまったのですが、柴崎先生の努力で、少しずつチャンネルができて、南育子研究局長時代に、大きく花が開いた。現在の西洋美術館や近代美術館、現代美術館との連携や共同の授業につながってきているように思います。
それで、中村隆介先生の時の研究局はどんな時代であったかと言いますと、ちょっと御幣があるかもしれませんが、内野先生の時代に立ちあがった研究局が掲げたキーワードから、中村先生が掲げた「図工のオーソドックスを冒険する」という研究テーマの中で、どのように形を変えながら引き継がれているのかということを見ていきたいと思います。
ここに出てくる「絵」なんですが、白黒なので申し訳ないですが、ご覧になってください。『素朴の原理』の時に掲載されている子どもの作品、活動、行為に比べて、「造形的な要素」が「濃くなっている」ことが感じられるように思います。
この「造形的な要素」という意味で、先ほど『素朴の原理』の中で掲げた大きな対立軸、いってみれば「造形主義」の流れが、ひとつの大きな都図研の本流になりつつあることがうかがえます。
この中で取り上げられているさまざまなものは、「図工のオーソドックス」という中でくくられています。「図工のオーソドックスを冒険する」というのは言ってみれば「題材や教材についての進化」であって、その中で子どものアートというものをとらえようとしている。
色でみるとほんとにきれいな強い色調の絵が多いと思うのですが。ここに出てくるようなものも、『素朴の原理』の触覚的なストロークや、身体的なものにかえっていることがわかります。これが1999年まで引き継がれます。1999年は柴崎裕先生に局長が変わっているのです。
つまり、研究冊子には、前の年度のものが表記として書かれています。このころの研究局の冊子はパンフレットとしてよくできている。研究誌としては、厳密な部分で約束事を逸脱したつくりになっています。ここの巻頭にある中村先生の言葉を読んでみます。

「都図研研究局の活動は作品の表層を飾る方法を探ることや、図工教育はこうあるべきだなんて偉そうな理論構築に向かうものではなくて、決定的に実践のフィールドに身を浸し、お互いの授業や、そこから生まれた作品に刻まれたどきっとする出来事、つまり、アートの生成という出来事に直接たっぷりと触れること、子どもとの関わりを通して、私たち自身の子どもへの創造力を問い直す、切り開きながら、子どもと教師、教材のダイナミックな関係を自らの実践の中に作り上げていくことに向けて展開してきた。生身の教師が子どもの表現と深く関わり合い、共振する、それが図工のオーソドックス。私たちが目指してきたのはそのオーソドックスを切り開くこと。私たちの意識の届かない、自分自身の子どもの世界の領土へのスリリングな冒険。」

この当時の研究局の研究発表というのも中村先生の文章にみられるような「イメージ性の強いもの」でした。それは、それだけ映像としての刺激、あるいは、編集としての映像というような部分で研究大会の折に非常にインパクトがあったように感じています。
ただ、あの、この当時の中村先生のやられていたことと、今の中村先生がやられていることの大きな違いは、今の中村先生のされていることの中に非常に教育的要素が強いように感じます。一昨年の「図工だいすき子ども美術展」(こどもの城)の時に中村先生に講師になっていただいて、お話を伺った時に「アフリカのかたち」にしてもそうですし、「マイアートスペース」にしてもそうですし、中村先生がなさっている「造形主義」の背景に、ひとつ教育として非常に丁寧な取り組み方が見て取れます。
内野先生や中村先生がされている「図工ノート」のひとつの実践を取ってもそうですし、子どもたちが教材を通じて、どんなものを獲得したのかということを「言葉」に置き換えている。ただ、行為としての活動に終わるのではなく、ひとつ造形を言葉に置き換えているようで、その辺の変化は大きいものではないかなと感じています。

(3)柴崎 裕研究局長の時代 〜外部へのチャンネル〜
 今度は柴崎裕先生にどんなふうに受け継がれてくるかというと、柴崎先生は、「題材はどこからくるのか」ということで、いってみれば、「教材についての意識」というものが、ここで強く出ています。
教材についての意識というものは『素朴の原理』に立ち返ってみると、その教育的機能として、「子どもの活動を開放することではなくて、規定するもの」という捉えがありましたが、子どもを捉えたときに子どもを開放させる、子どもの内側にあるものを表出させる方向と、子どもに投げかけてその活動に向かわせるという、そういう動きを持ったものとして、「題材」に切り込んだのがこの時代です。
様々な「題材開発」というのが中心に行われていますが、方向としては、中村先生のところで確認したように、「造形主義」あるいは、子どもの表現ということに対しての造形性の深い問いかけというものが中心にあると思います。ここでは、色や形、あるいはテクスチャーの開発ということが非常に多く見られます。
例えば、このリー・ウーファン(現代作家)のような作品なんかは、柴崎先生ご自身が「もの派」というアートの流れを眺望するような感じもあって、ものに対するダイレクトな切り込みもこの時代の特徴のようにも思います。
柴崎先生の功績はとにかくアグレッシブに動きまわって、様々なところにチャンネルをつくったということだと思います。図工教育の外部に接続を広げた。その中でも、東京学芸大学の助教授であった河村先生とのつながりから、(河村先生の文章もここにつづられています)やがて、大きな「ZUKO展」という学芸大学美術科との共同事業になっていきます。この「ZUKO展」は「ZUKO展2」まで2回続き、行われたのは2004年、2005年との南育子局長時代にまで引き継がれます。
柴崎先生は先ほど言ったように非常にアグレッシブな方で局長時代に「題材はどこからやってくるのか」というひとつの冊子とは別に「皮膚の目覚まし」という次の年には違うテーマで研究を展開しています。皮膚の目覚ましの題材のとりあげ方をみても、皮膚という部分で、「身体論」に根差したことがよくわかります。この辺の流れを受けて、時任勝研究局長の時代に受け継がれていきます。この時の都図研としての大きな取り組みは、鈴石先生が小学館とつなげた『わくわく造形遊び』(教育技術ムック)の刊行があります。それを経て、柴崎先生から時任先生にバトンタッチということになります。

(4)時任 勝研究局長の時代 〜図工する子どもの時間〜
 「図工する子どもの時間」ということを掲げた時任先生の時代になります。「図工する子どもの時間」というテーマの背景にあるものは「子どもの時間」という野中真理子監督のつくられた映画につながるものがあります。
時任先生という方は非常に鋭敏な感性の持ち主で、野中監督の「子どもの時間」に触発されて野中監督にアタックされてチャンネルをつくったことが今につながっています。その後の内野先生の映画『トントン・ギコギコ図工の時間』や「子ども主義」につながる流れがここにあります。
ご本人がいらっしゃらないので、個人的に時任先生のなさったことを考察するのはおこがましいのですが、時任先生のなさったことを振り返ったときに、非常に子どもに対する温かいまなざしがあるように思います。「図工する子どもの時間」という研究局のテーマもそうですし、子どもに対する関わり方が実践の中に強く出てきていると思います。基本的な流れというのは中村先生、柴崎先生の中から引き継いでいます。都図研研究局の造形性、造形主義と言っていいと思います。この辺はここにいる方が何人も関わっているので、付け足しがあればお願いします。これが2001年です。
 こうして都図研研究局の動きを見てくると、内野先生の時代の都図研研究局の時代の活動は、研究授業であったように思います。1996年には、中村先生の研究授業がひとつの冊子にまとめられている。その後、都図研大会の研究授業と分科会のところで大きな影響力を持っていました。1997、1998、1999、2000、2001年まできています。
時任先生の時代の2002年に「夏期研修会」というものが始まって、都図研の体制が「研究局」と「研修局」ふたつの大きな柱が立ち上がります。「報告書」としても、それまでの研究局のまとめと、研修局のまとめのふたつの報告書というようにかわってきています。これは、2004年度の報告書ですが、研究局と研修局の報告書ということになっています。表紙になっている南育子先生が西洋美術館で行った鑑賞の授業があり、この辺りから、子どもの造形活動の枠組みが広がってきている。あるいは、「表現」と「鑑賞」という図工の学習指導要領に書かれている領域の鑑賞のウエイトが大きくなってきているということが言えます。

(5)南育子研究局長の時代から、玉置一仁局長の時代へ 
〜教育改革のなかの図工の意味〜
南先生の局長の時のテーマが「子どもがここにある出来事」ということで、「図工する子どもの時間」という、図工の場からそこで起こっている出来事、つまり、その行為を通じたもの、あるいは、子ども自身がそこで行っている行為をどう見るかということが研究のキーワードになって、切り口がかわりつつあることがわかります。
これは、今につながる流れを南先生がつくったことになります。2004年度の研究局、研修局の報告書を見ますと、南先生の「子どもがここにある出来事」という文章が載っています。小見出しをみると、子どもと出来事、子どもの色と形、題材はどこからくるのか、機関との連携、この前の局長が提案してきたテーマ、課題が引き継がれながら、検討されていることがわかります。
そこに入ってきたのが諸機関とのつながり、関係です。この頃から都図研大会の研究授業や分科会だけではなくて、例えば、学芸大で行われた「ZUKO展」での展覧会やシンポジウム、それから、西洋美術館をはじめとした美術館との研修会、それから、研究局が行う公開の授業研究会という形で多様に広がっています。
これは、必然といえば、必然のようにも思うのですが、その前のあたりから社会の方がどう変化してくるかというと、制度の改革が行われて、2000年に文部省が「文部科学省」になって教育の枠組みが「行政改革」から「教育改革」の大きな流れとなってじわじわっと現場に押し寄せてきていることがわかります。「学力論争」を通じて、子どもの基礎学力が問われる現状があり、現在の教育改革につながる世論がこの時代に形成されてきたのです。
その中で何がどう変わっていくのかというもの見すえながら、自分たちの足元をどう固めていくのかということが実際の課題として出てきています。活動を広げながら、多くの人たちに図工の重要性ということを問いかけていくことが切迫した課題になってきています。
世論の形成力については、圧倒的に辻先生の『子ども主義』の宣言文の中にも書かれているように「3RS」という「読み・書き・そろばん」という学力観があります。この根強い学力観ももとをただせば、最初に述べた「実体論」につながるように思うのですが、結局、実体として学力があるという、学力がないから学力をつけなきゃいけないという論理がそこにある。学力を含めて、子どもの学習、学びを捉えようとしているのが、この時代だと思います。そして、現在の玉置先生の局長時代につながります。(記録係りより補填:玉置時代(2006〜2007)の研究テーマは「子どもスイッチ」。外部への接続という意味から、アーティスト「明和電機」との接触、また、「がんばれ図工の時間」(2007、3、東京大学大学工学部)、「∞のこどもたち展」(2008、2、日本科学未来館)などが図られた。また、人材面では、世代交代がすすみ、若い世代が研究局に属し、研究の先進性よりも、研修性が拡大した。)

5、今後の都図研の課題 
 このような流れを踏まえて、2006年、辻会長が提案した「子ども主義宣言」というものがあるわけです。『子ども主義宣言』については、みなさん、繰り返し目を通していらっしゃるので、今さらという感じもしますが、「子ども主義宣言」の柱をもう一度見てみましょう。
柱は大きく3つ、「?、子どもの中に真実がある」、「?、造形表現は私をつくりだす」、「?、造形表現は強力なコミュニケーションツールである」というものです。「子ども主義宣言」のサブテーマは、ついつい見過ごしてしまうのですが、「子どもたちのリアルと図工の時間」と書いてあるんですね。
これは、実は、びっくりすることに『素朴の原理』とみると「子どもの表現のリアリティをめぐって」とあり、『素朴の原理』では「表現のリアリティ」と言っているものが、「子どもたちのリアル」に置き換えられているのです。
『素朴の原理』の骨格をなすのは、「表現」ということです。表現というものが子どもの何を切り取っているのかというのを述べています。「子ども主義」で言っているのは「子どもたちのリアル」です。
?の「子どもの中に真実がある」という柱は最も大事なことだということがわかります。「子どもの中に真実がある」という、「子ども=真実」というリアルなメッセージが「子ども主義宣言」の最も重要なことなのです。
14ページの辻先生の言葉に「今、あらためて子どもを発見しなければならない」とある。そのもとにあるのは『素朴の原理』という「子どもの発見」があって、だから、「子ども主義宣言」が「今、あらためて・・」ということになるのではないでしょうか。
子どもにもう一度目を向けて、子どもを発見しようという主張は、南先生の時代に特に強く出てきた「教育改革に述べられている基礎学力に見られるような教育観、学力観」に対してです。
学力観に対して、『子ども主義宣言』は、「図工教育、造形美術の教育から提言する学力観」であるというふうに捉えることができます。これがとても重要です。
この学力観という部分から私たちは造形活動の重要性、美術というものの人の生き方に根差したものの教育の位置づけをはかっていくことが大事だと思います。
同じく『子ども主義宣言』の中の辻先生の言葉に「子どもを起点にしたまなざしの往還」という言葉が出ています。
「よりよい授業の創造とは目の前にいる子どもを起点としたまなざしによって絶えずモデル・構造と個々の現実・現象を往還することによってなしうる。そして、モデルそのものもまた、絶えざるまなざしの往還によって新たな形を得ていくのである。」というものです。
ここに述べられているのは、「動的パラダイム」です。子どもの存在を見つめる時に子どもを取り巻くものと、子どもとの往還のまなざし、行ったり来たりのまなざしが非常に重要であるということがここからもよくわかります。
 このように『子ども主義宣言』につながる流れがここでひとつくくりになっているわけですが、実は『月に吠える』という本がこの背景にあることがちょっと抜け落ちてしまうんです。この本を読んでいくと『素朴の原理』から『子ども主義宣言』に至る流れと、その背景にある精神構造を形づくるものがどんなふうに教育や美術に結びついているかということがよくわかるのです。たいへん読みにくい本ですけれども。
この『月に吠える』の中では、鈴石先生が最後に、「不安から希望へ」という言葉に言い換えています。いってみれば、これは、先ほど、「子どもにARTが生まれるとき」という研究局の産声が上がった1995年、冊子で言えば1997年ですが、そこに述べられている鈴石先生の言葉と強く結びついていることがよくわかります。都図研研究局の研究の中で、ついつい抜け落ちてしまいがちな部分が、鈴石先生がおっしゃっている部分だと思います。
色や形やテクスチャーという「造形要素」をさらに教育の中で言葉を通じて、きちんと整理して実践を通じて取り組んできた都図研研究局の流れは、非常に偉大で価値があると思います。
それを、各時代の研究局長が分析しながらつくり上げてきた中で、どうしても子どもを論じる時に子どもに対する希望というものの中に、子どものような図工教師の存在がだんだん抜け落ちてしまうという鈴石先生の指摘を真摯に受け止めるべきであると思います。
このへんのところが、このあとの都図研研究局の大きな課題になるであろうと感じています。
今日は、お時間いただいた中で、都図研研究局の流れを『素朴の原理』から派生した重要なものがそれぞれの時代の中で形づくって「子ども主義」につながっているという一連の流れ、言ってみれば「系譜」と言ってもいいのですが、それをお話しました。
今回、このような機会を与えていただいたのですが、自分でもうまくまとめられない部分もあり、資料を整理できず、どう、みなさんにお話すればよいのか非常に悩みました。今までの成果に立ち返って、そこに学ぶことが、この後の都図研研究局の方向にとって、とても大きなものがあると思います。今日、ここにいらっしゃる方が都図研研究局の中核をなす方だと思いますので、その辺のところをゆっくり取り組まれて、この先の方向性を個々に探りながら、子どもというものをどうとらえていくのか考えていただけるとよいと思います。何かありましたら、付け加えていただきたいと思います。
ありがとうございました。
(了)

韓国でのワークショップ

report 辻政博

ひつじ日記(8月24日)より抜粋

19日、20日、21日と韓国にワークショップにいってきた。「(社)家の光協会、韓国農業協同組合中央会」の主催する「第14回世界こども図画コンテスト?Nソウル」のイベントである。会場は、韓国国際文化センターでたいへん天井の高いりっぱな施設であった。韓国の子どもたちと日本人学校の子どもたちが、ワークショップをとおして交流するものであった。「帆布(はんぷ)」(90×500)を3枚用意し、スポンジで布を湿らせ、染料をほどこす「カラー・ワールド」という題材をおこなった。初対面の子どもたちではじめはぎこちなかったが、すぐ色の楽しさ、面白さに夢中になって取り組むことができた。ワークショップに際して、農業博物館、農民新聞社、文化センター、家の光協会などの関係者の皆様にはたいへんお世話になった。無事、おこなうことができたことを感謝したい。
 それにしても子どもはいい。ちょっとしたきかっけがあれば、どんどん自分からすすんで、楽しみながら力をはっきすることができる。国を越えて子どものよさや可能性をあらためて感じた。
 ARTは、国境を越えて子どもや文化を結びつける可能性をもっていると思う。もっと民間レベルでの交流が盛んになることで、本当の交流や理解が生まれると思う。

(写真はクリックすると拡大します)

韓国1.jpgみんなで色を滲ませる。 相談して色を配置している。韓国2.jpg活動後、天井の高いすばらしいギャラリーに展示した。

韓国3.jpgワールドカップで燃えていたあの市庁前広場の夜景韓国4.jpg農業博物館の人たちと昼食

北多摩、南多摩、西多摩ブロック、図画工作科夏期授業指導研究会

日時

2007年8月8日(水)・9日(木) 9:30〜17:00

場所  

府中市美術館

参加者 

受講者50人(抽選による) +スタッフ約20人

内容

 fuchu1.jpg多摩ブロックの地区研究として、府中市美術館での研修会は、教育現場と美術館がしっかり連携し、数年前から継続的に行われている。
 2日間を通して、グループ演習を中心とした研修を行った。
 学校教育における鑑賞指導について一人一人考え、互いに意見を交流しあい、参加者みんなでつくる研修会であった。
 スタッフの方々、本当にお疲れ様でした。

8日(水)

午前 

学習指導要領の「B鑑賞(1)領域の内容について」の文言をもとにしてグループディスカッション。

午後

・学芸員 武居利史氏、成相肇氏によるギャラリートーク
・鑑賞プログラム体験

9日(木)

午前

作品を前にして作家とのギャラリートーク
講師 藪野 健氏

午後

鑑賞の題材研究

新聞・雑誌・TVで都図研?!

都図研の活動や、都図研の先生の実践がマスコミに取り上げられました。

毎日新聞の記事2.jpgクリックすると拡大します。
・毎日新聞『子ども主義宣言』の書評が掲載されました。(07,6,15 都内欄)

・AERA(07,6,18)に中村隆介先生(品川区立第二延山小学校)の授業がカラー2ページで紹介されました。

・2007年6月19日に花園小でNHK教育テレビの番組収録がありました。この4月から始まった「えいごでしゃべらないとJr.」という15分番組の中で、「ようこそALT」というコーナーがあります。外国人が日本の子どもたちに英語で触れ合いながら何かを教えるというものです。そこで,花園小の5年生にクリエイティブユニット"生意気"の二人が,図工の特別授業をしました。