「子ども主義宣言」
−子どもたちのリアルと図工の時間−展
会期
2007年7月14日・土〜21日・土
(終了しました)
初日 14日(土)PM17:00〜
最終日21日(土)PM16:00まで
開場時間 上記以外 AM11:00〜PM19:00
会場
ギャラリーTOM
東京都渋谷区松涛2-11-1
03-3467-8102
入場料 無料
opening party
初日14日(土)PM17:00〜19:00
TOM会場内でささやかなオープニングパーティを行います。
シンポジウム
7月20日(金)PM15:00〜17:00
TOM会場内にて【鈴石弘之、穴澤秀隆、司会高橋香苗】
注)派遣依頼はダウンロードできます。
備考
社会一般に図工教育の重要性をアピールする目的で、「子ども主義宣言」実践編の授業を中心に、ギャラリーTOMで展覧会を行います。まず第一に、「子ども主義宣言」で行った授業を、子どもの活動写真や映像や作品によって再構成し、一般の鑑賞者に臨場感とともに見ていただきたい。「子どもの造形活動=図工の時間」への、関心を呼び起こし、理解を得るきっかけとなる展覧会、またあわせて、本を紹介し販売する機会としたいと考えています。
会期中7月20日(金)には会場に鈴石弘之先生、穴澤秀隆氏を迎えて(司会:高橋香苗)「子どもと図工の時間」と題したミニシンポジウムを開催します。
トークショウの記録平成19年7月20日 記録/編集 島田美由紀(足立区立寺地小学校) パネラー 鈴石 弘之氏(CCAA代表) | ||
はじめに
杉山
本日は夏休み前のお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。『子ども主義宣言』(2007年、三晃書房)の発刊を祝い、今回展覧会を行うことになりました。さらに、この本について3名の方に、お話をいただきたくトークショウを設定いたしました。まず、都図研会長の辻先生、ご挨拶をお願いいたします。
辻
みなさんこんにちは。最初は参加者が5人くらいしかいなかったのでどうしようかと思ったのですが、こんなにきてくださってありがとうございます。今日は学校の方も終業式で、一学期の仕事が終わってほっとしている感じかな、と思っているのですが、この「子ども主義宣言」プロジェクトは、企画を始めてからちょうど2年ぐらいたっております。この展覧会でひと区切り、といった感じです。
今日は、元都図研会長の鈴石先生、現在はCCAAというNPOで代表として活動をなさっています。鈴石先生のブログを見ますとやはり毒舌のコメントがいっぱい載っております。今日はシンポジウムが「トークショウ」という形になりましたので、鈴石先生持ち前の毒舌と批判精神でお話をいただきたいと思います。それから、「美育文化」の編集長の穴澤さんに来ていただきました。美育文化で特集を組んでいただき、この活動には穴澤さんの方でかなり支援をいただいています。ありがとうございます。
穴澤さんも、僕は昨日この三人にメールを送って、明日は「爆裂トーク」をお願いします、といってあります。今日の朝メールをみたら、穴澤さんから「僕は今日爆発します」という返事があったので今日は激しい鈴石先生とのやりとりがみられるかな、と期待しています。よろしくお願いいたします。高橋先生は、「子ども主義宣言」特別委員会の委員長としてがんばってかたちにしてくれました。
いまの現場では、世代交代もあり、図工の先生は「犬」と「猫」に分けますと猫型の人が多く、個人主義といいますか、それぞれ自分の宇宙をもっていらっしゃるので、協力して何かをするということが不得手なところがありますけれども、それを高橋先生の牽引力でそれぞれのセクションをひっぱって、編集して下さいました。鈴石先生と穴澤さんの爆裂トークの間に、上品な高橋先生のお話が入る形で、本日は3人の先生方、よろしくお願いいたします。
「子ども主義宣言」と「子ども教の信徒」をめぐって
高橋
足立区立大谷田小学校の高橋香苗と申します。この展覧会に至るまでですけれども、「子ども主義宣言」の本はここにあるのですが、「子ども主義宣言」という言葉が最初にあり、「子ども主義」とはなんだろうと考えました。非常にインパクトがあるというか、いろいろなことを連想させるというか、色々なことを考えさせられて何がなんだかわからないというか、本のタイトルがすごく面白いな、と私はこのプランが立ち上がった時に思ったのです。実際「子ども主義宣言」という言葉について色々な方がいろいろなことを考えたと思います。本の中には横内先生の文書も載っていますので参考にしていただけたらと思います。
今日ここに展示してあるのは、本の中の「実践編」を10のセクション、低・中・高学年、3つずつ実践し、合計30の実践題材でつくられたものです。形に残らないものもありますので、それは映像や写真で展示してあります。見た人がその授業を追跡できる、授業を思い浮かべることができるように展示がしたいということでパネルなどを製作しました。実際に私自身も授業をしたのですが、自分が関わっていたセクションはよくわかりました。他のセクションのことは文章で読んだだけなので、ここに展示をしてからしみじみ見てみて「ああ、こうだったんだ」と感じることができます。やっぱり展覧会をやってみてよかったかもしれない。ものすごく大勢の方が本当にご尽力いただいたことがわかります。本は読んでいただけましたでしょうか?本日はまず鈴石先生にお話しをいただこうと思います。ふと見ましたら「まどみちお」さんの詩集を片手に持っていらっしゃるので、そこからスタートしてくださるそうです。それから、この「子ども主義宣言」の本をどうしても出したい、という意図があったんですけれども、なぜ、それが今、それほど大事なのかということについて、歴史を紐解いてお話くださるということで、穴澤さんがいろいろ資料を持ってきてくださいました。挑発的なお話が得意と聞いていますので、ぜひ会場の方も思わず手を挙げて意見を言って下さるように、よろしくお願いいたします。
鈴石
この本の中の231ページに、とても気になるフレーズがあります。横内先生の書いた文章なんですけれども、「子ども主義」という言葉に、言葉の意味に二重線をはって、「子ども主義宣言」ということを簡単にいっていいのか、と、私の意訳なんですが、その中で特に、私の心にぐさっときた言葉がひとつある。
それは「子ども教の信徒であるかように」と書いてあるんですね。その言葉の前に金子光晴「若葉の歌」を引用しているんだけれども、すごくすてきな詩が書いてあって。横内さんの文章を私は挑発的に捉えたんだけれども、徹底的に「子ども教の信徒になるべきである」と私は思う。 実は昨日、江戸川区立清新第三小の加藤貴子さんの授業を見た。私が指導した「長い絵」という題材を模倣していただいて、一年生に授業をしたのですが、とてもすてきな授業だった。つまりその、小手先ではなく、脳みそではなく「体」で描いている子どもたちがいた。体で描ける子どもたちがいたということが、極めて私にとっては新しい発見であった。その子どもたちのことを我々が認めて、このことがすごいんだと。そして、それを親御さんであれ、学校の先生であれ、文部省であれどこでもいいんですけれども、そういう人たちに訴えていくことしか方法がないんですね。
徹底して僕は「子ども教」になるべきであろうと。私は子どもの立場にこれからも立っていきたいと思っている。 こういうエピソードを最初にお話します。授業をした後、食事をしたのですが、担任の先生がお二人いらっしゃったのですが、一人は若い女性の先生、もう一人は中年の女性の先生で、子どもたちの活動に好意的であった。この「子ども主義宣言」の付録に、板良敷先生の文章が入っていますよね。テストの丸付けをしながら図工をやっている先生方に文句をいおうじゃないか、というような文章が書いてあります。 それと真反対のことが起きたわけです。子どもたちのあらわな姿を担任の先生がみてしまうと、圧倒されてしまう。それで、結果において彼女たち二人はへとへとになって疲れるわけです。二時間。へとへとになって疲れるということがとても大事なんです。我々は小手先で授業してはいけないだろうと思うわけですねえ。徹底して「子ども教」になることは、徹底して先生がへとへとになるんだろう、という風に私は思うんです。へとへとになることと、「子ども教」になることはイコールであると私は思います。ぜひこれからの若い先生方は小手先のことではなく、「子どもって一体何だろう」とずっと考え続けることがとても大切である、と思っています。 あともうひとつは、子どもの図工の時間と子どもとイコールで、憲法改正の問題やイージス艦がどっかからかやってくる問題とか、全部つながっていると私は思っている。教育、教師は「ユートピア」にいるような気がするが、決してそうではないんですよね。そういう「今の現実」に今の子どもたちは生きているわけですから、子どもたちは、今の現実をちゃんと直感的に受け止めているはずなんです。子どもたちでさえ。そのいわば異議申し立てが、子どもがちょっとはずれた感じになっていく。僕はこの文章の中で「革命」という言葉を使っている。造形の表現とは、まさしく「命」を「更新」していく、そういう世界ではないかなと。そういう風に思っています。政権を打倒しようというわけではない。
全然違う話をしますね。まどみちおさん、93歳、の詩「ぞうさんぞうさん」(ぞうさんぞうさん、おはながながいのね)はかなり情緒的にいわれているわけだけれども。吉野弘という人が、「ぞうさん」は、「いじめの問題」を言っていると解釈している。私もそうだと思ったんです。「ぞうさんぞうさん おはなが長いのね」「お前の鼻は長いんだよ」「お前だけだよ、鼻が長いの」と友だちが言っているんだと。 そしたら、お母さんが「そうではない。私の鼻も長いから」といって「違いはいい、違いこそが大切」といっていると、吉野弘さんは解釈している。私もそう思いました。それから、93歳のまどさんが反戦の政治的な詩を書いている。「あっけらかんさ ちのはしらをめぐって このくにととなりのくにとが やりはじめた。おれたちもだおれたちもだと へいきの音までちらつかせて どっちがほんとのもちぬしなんだ もうへったくれもない。 もちぬしは 地球だ。 いやはや 地球がすまわせてもらっている宇宙が 持ち主だ。 その広大無辺の神様のまえで 人殺しごっこなど 天罰てきめん。 どっちのくにもこっちのくにも あとかたなしさ。 あっというまの あっけらかんさ」こう言っているんです。93歳の爺さんがですね、世界をちゃんと見ていて、自分のはげ頭は世界を照らし出している、と言っているんです。まどさんのすごさっていうのは、どっから来ているかというと5歳で家族が全部いなくなってしまっていることにあるんです。 お父さんも、お母さんも、お兄さんもおねえちゃんも皆いなくなってしまって、まどさんひとりがお爺さんに預けられるんです。5歳ですよ。まどさんにとってはすごい悲しみというのかな、そのことを経て、まどさんはこういうすてきな詩を書いているわけですね。まどさんは決して世界を見捨てていないし、世界をやっぱり広大無辺の神様がお住まいのところだと言っている。そうすると、「神様というのは、僕は子どもかもしれない」とさえ思っています。冒頭に僕は「子ども教」の信徒なれ、と横内さんの挑発を受けながら、「一層徹底してそうしなさい」と冒頭に申し上げたいと思います。ありがとうございます。
「戦後美術教育」の流れのなかで
穴澤
「美育文化」をご存知かとは思いますが、美術教育の雑誌の編集をやっている穴澤です。先生方には毎度おなじみ、といった感じなのですが、こういう風に親しくお話しする機会というのはあまりなかったかな、と思います。 普段は、僕は外野席から美術教育を見ている。今日は逆でキャッチャー席と言うか、ネット裏から見ているといった感じで、普段と全然逆なんですね。それで、もともと教員でもないし、美術の専門家でもないので、美術教育についてお話しするのはおこがましい話かとも思うが、もしかしたら話せるかもしれないということは、私は誰よりも数限りない美術教育の「研究会」に参加してきました。都図研とか、小学校だけではなく、大学の学会や、幼児教育、あるいはジャンル別で版画の研究会とか、「造形教育センター」、そういう所にあらゆる所にいくことを25年間やってきました。ふと気がつくと、それだけの会に出ている人はなかなかいないんですよ。それで、僕は日本の「美術教育ジャーナリズム」というのがあるかどうかはわかりませんが、私くらいかな、とちょっと思ってね、しゃべってみたいな、と思うようになったんです。ところが実はその研究会に行って「ああよかったな」と思うことがほとんどない。だいたいつまらない。がっかりして帰ってくる。 何が面白くないかというとですね、シンポジウムだの講演だのというなかで、指導主事のご託宣、これがまったく焦点化されていないことが多い。今日ならば「子ども主義宣言」の本について話し合わなければならないのに、自分の専門の話をとうとうとする人がいる。例えば誰か講師として出てくる。ところがびっくりすることに、自分の専門の絵の話をするわけです。日本画かなんかを描いているわけなんです。その話をとうとうとして、その前の人の実践の話とどう結びつくのか、僕は全然わからないわけです。ところが誰もそのことに文句を言わずその会が終わってしまうことが多く、そういう構造が美術教育界には多く、私はいらいらいらいらしてそれを聞いてきた。だから自分が喋る時はそういう話は絶対にするまい、ここで焦点化された話をしようかと思って今日来たわけです。 それで、この本が日本の美術教育の中で、いったいどこに位置づくのか話をしたいと思う。例えば、戦後の美術教育からいかなければならないのですが、私は1981年に仕事を始めた。実は辻先生と私は同じ年に社会に出て、仕事を始めている。辻先生の方がちょっと上というか、僕らは社会に出るのが少し遅かったわけです。それで、僕は浪人したり、大学に長くいたりして、結構遅いなあ、と思っていたらもっと遅い人がいて、それが辻先生だったんです。で、1981年に仕事に入ったのですが、そのころの美術教育はどうだったかというと、こんな感じでした。(資料を提示) 80年代の教科書です。何年だろう。昭和58年ということは83年か。だいたいその時期ですよね。見ていただければわかると思うのですが、これ、「絵」ですよね。80年代というのは、だいたいこんなもんか、という感じですよ。これで言える事は、この頃の教科書は「絵」という範疇がわかりやすい。これはお祭りの絵だし、これはジャングルジムで遊ぶ子どもの絵だし、これは秋の風景。 これが80年代の、大体の感じだったわけです。美育文化も、僕が入った頃はそんな感じでやっていたわけです。で、これは戦後の美術教育の状況をひきずっていてね、戦後というのは、実はちょっとその前があって、それが、これなんですよね。これは、「久保貞次郎」という人。ご存知ですか?「創造美育運動」を始めた人ですよね。それで、久保さん以前に、僕は研究者じゃないのでアバウトな言い方しかできませんが、「子どもの絵」ってなかったわけですよ。びっくりすることに。戦前の教科書の絵を見れば、子どもの絵というのは一枚も出てないわけですよ。戦後と戦前の大きな違いは子どもの絵があるかないか。戦後は美術の教科書に子どもの絵がでた、ということがおきな違いなわけです。 これをやったのが、「創美」ですよね。もっといえば、オーストリアの「チゼック」ですね。それは1910年代くらい。それを、1945年以降に久保さんが世界から持ってきた。25年くらい経っているわけだけれども。1980年の状況と言うのは、ここだったわけですよ。それで、そこからいって今のこの時点に話を持っていきたいというのが、今日の僕の考えなんです。それで、その間にあるのが何かと言えば、まさしく「都図研の仕事」だったと思うわけです。
「子ども観」と近代
高橋
鈴石先生、「チゼック」という名前が出たんですけれど、チゼックについて、本で描いていらっしゃいましたよね。よくご存知かと思うのですが、ちょっと、一言お願いいたします。
鈴石
戦前の美術教育は、「教師の到達目標」がしっかりしていて、「見本」を見てその通りに絵を描くといった教育が中心だったわけだけれども、チゼックは初めて道路に子どもたちが「いたずら描き」をしている姿を見つけて、「子どもはこんなにすばらしい絵を描くことができるんだ」と子どものすばらしさを発見した人。
でも、僕はチゼックが指導した作品はあまり評価していないの、実は。なぜかと言うと、極めてデザイン的、といったらいいのかな、装飾的なんですね。ちょうど、世紀末のアートにかなり力を入れているところがあって、だからチゼックが発見した「いたずら描き」と、「チゼックスクール」で指導した作品というのはまったく違う。そこのところをちゃんと区別していかないといけない。でも、子どもが自分の力で描くんだと、表現するんだということを初めて発見した、美術教育の中での「子ども主義」の冒頭にいる人だろうという風に、私は思いますね。
穴澤
チゼック以前は「子どもの絵」がなかったということ、さらに「子ども」というものすらなかったということをもう少し話していただけませんか。鈴石:ヨーロッパに「子どもはいない」ということはどういうことかというと、産業革命以前というのは、子どもも「労働者」であったわけじゃないですか。子どもはほとんど「学校」に行っていなかったわけですから、子どもなんていうのはどうでもよかったわけですよね。ましてや「大人」は、プラトニズムで言えば最高位にいて、子どもが最低位に置かれている。 だんだん年を取るとりっぱな大人になっていく。だから子どもがいない、ということだよね。僕は、子どもが最上位だと思っているから、逆だよね。子どもが最高なので、子どもの感受性がだんだん大人になると衰えていくから、チゼックが発表したこととか、それからデューイ、それからルソー、などが子どもについて考え始めたということが大事なことだと、そこから「子どもを対象とした教育」が始まったんだと。
穴澤
そういう点で言えば「フィリップ・アリエス」という人がいて、『子どもの誕生』という本がみすず書房から出ている。今の鈴石先生の話にもう少し付け加えるならば、子どもはいなかったわけですよ。 いつまでいなかったのか、というと、例えば、日本で近代以前は、江戸時代や鎌倉時代はいなかった。僕らがどんなに探しても、ヨーロッパのルネッサンスや平安時代の児童画が発見されることはない。これはなぜかというと、子どもというのはその時代にいなかったんです。この概念をぜひわかっていただきたいんだけれども、もちろん体の小さな人間というかそういうものはいつの時代にもいるけれども、それを「子ども」と名づけて「大人」と違うんだということに気づくのは、「近代の教育の制度」のおかげなんですね。それによって、初めて子どもが対象として生まれたわけです。それ以前は、柏木博さんの本なんかを読むと出てきますけれども、子どもも大人も同じ服を着ていた、というわけです。大人の小さいサイズの服を子どもが着ていて、同じ服装であったと。 今はそうではない。子どもは子どもの服を着て、カラフルであるとか、デザインがかわいいとか、そういうものを今は着ていますよね。それは、大人と子どもが違う人間である、と服によってはっきりとわからせるためなわけです。 そういう子どもの服が生まれたというのは、おそらく1910年代以降である。ですから、それ以前は子どもというものがいなかったわけですから、子どもの絵というものはなかったわけです。ですよね。それは近代の、ひとつの産物ですよね。
高橋
子どもは絵を全然描いていなかった?
穴澤
描いていたでしょうね。高橋:見つからなかった?
鈴石
いや、この間TVで『たけしだれでもピカソ』を見ていたとき、すごいことを発見したんだけど、80歳を過ぎたじいちゃんが下駄はいてさ、キャンバスの上歩くんだよ。 それテレビでやっていたらたけしがね、「でたらめだっていうんだよ」。つまり、たけしの限界を超えているわけ。「あんなでたらめは許せない」とたけしは思っているわけ。だから、昔の人たちは子どものいたずら描きだとかそういうものを絵としては認められなかったんだね。だからあまり変わっていないんだよ、たけしだってな。高橋さん、なんかしゃべんなきゃだめだよ。
「子どもが絵を描く」ポテンシャル
高橋
今、「教科書」を見ていてしみじみと思ったのですが、すごく絵が多いですね。この「子ども主義宣言」の展覧会や本の実践をみてもそうなのですが、絵が少ないですよね。もちろん絵もあるんですけれども、立体も多い。
私たちが「造形活動」と考えているものは、「子どもの活動そのものを見る」ということが結構強く意識されていて、最終的に絵になるか、絵にならないか、立体になるかということが、今回の場合は特に強くでているのかもしれない。あまり絵の形にならないものも多いと感じました。 私は現場に毎日いますので、子どもは「絵を描くこと」が難しいと思っていると感じます。絵っていうのは、もしかすると、心の中で操作というか、何かこう、すごく考えないと、子どもといえどもできないものがあるんだろうと思っている。「工作」は手を動かしていくうちに何かができるということでわかりやすいのです。 私は足立区の小学校を卒業したんですね。その頃、足立区の図工部は「イメージ画運動」をしていて、そのまっただなかの図工専科に教わったわけです。 ですから、いろいろな包装紙をもってきて、自分で好きに顔を構成するとか、雑巾を墨汁で濡らしてなげて、その跡を何かに「見立て」て連想して絵を描くとか、というものがすごく多かったんですね。パレットの技術的な指導を受けたことはないんです。 しかし、自分がそういう絵をかけなかったか、嫌いだったかというと、全然そうではなかったですね。自分が絵を描くことが好きだったので、そういうチマチマした絵も描きましたし、それから細かいところまで目に見えるところを徹底的に追求していきたいという欲望って、子どもにもあるんですよね。そういう風に、目に見えるものを徹底的に描きたい、というのもあった。でも、大勢の子どもたちと一緒にいて、自分の思いつかない、さっきおっしゃいましたけれど、下駄の裏に何かをつけて・・・これは遊びみたいなものですけれども、「遊びみたいなものの中に造形の要素を見出すということに立ち会っている」ということがわかってきて、それが「遊び」なんだけれども「造形と関わる遊び」である、その部分にのせてくれる。それって一人ではできないことじゃないかなって、思っているんです。
だから、高度な、技術的にうまいとかそういうレベルではなくて、「自分が描きたいと思うものを平面上に描く」という、そのことがすごく高度なことではないか。それは子どもたちにとってものすごく大事な活動である気がするんですね。 この教科書に載っている絵を見ていると、例えばこの絵はこのように「指導」します、と書いてあって、大きさはこの大きさで、これはこういう風にして、「順番」はこのようにして、教科書っていうのは「言葉」でその展開を書いていっている。 私も「指導案」を書いているとそういうところに陥りがちなのでよくわかるのです。事細かに落ちがなく、そして道筋がよくわかるようにと、がんばれば、がんばるほどそういう方向性にいくのが、多いなと思うんです。指導案を一字一句真に受けて、そのとおりの授業をしようと思うと、それは、何か現実の授業と少し違う。ですから自分の立てた指導案のポイントを押さえておかないと、指導案に振り回されるということになってしまうな、といつも思うんです。この教科書に載っている絵は、背後に指導案が見える。私たちは、子どもの時「こういう絵がうまいんだろうな、教科書に載っているから」と思ってみていたな、としみじみ今見て思いました。これは「絵を描くという土俵」の上にすでに子どもを乗せていて、この方法をとりなさいって、子どもが自発的に描こうと思っているのか、「平面上に表すというとても難しいところを取り去ってしまった先に図工がある」っていう風に考えているのかな、と思う。 本当は、描きたいと思ったことを二次元に線と平面で構成するということ、そのことが子どもにとって重要で、最も難しいことなんじゃないかな、と。日夜、悪戦苦闘しながら、思っています。昨日もたいへん難しかったんですけれども。
鈴石
昨日、何かあったんですか。
高橋
昨日、「風神雷神図」の絵を描いたんですけれども、なかなか面白かったのですが、みんな金色になって、自分のからだも金色だったんですけれども(笑い)、なかなか難しいと思いました。鈴石:今の話をちょっと受け継いで「子ども主義宣言」の中に、茂木健一郎さんが「頭足人」のことを主題にしてちょっと書いているんですよ。茂木さんのいうところによると、「へたくそな作品」とかいてあるのね。で、そのへたくそな作品というのは、実は「ポテンシャル」がすごいんだ、というんです。ちょっと読みましょうか。「子どもがへたくそな絵を描くというのは、とても大事なことなんです。よくまるを描いてその上に目や口をつけて、その顔からいきなり手を出したりしますよね。本人は人間って考えているわけですよ、解剖学的にはおかしいですよ。ところがこういう絵が描けることが人間の脳が持っている脳のポテンシャルで、世界はこういう形でまるめて理解しているわけです。コンピュータや機械だとこんなことできないよ」と書いてあるわけですね。つまり、ぼくら大人は、これは「へたくそな絵」だと思っているけれども、こういう風なことを描ける子どもっていうのはすでに優れているんだと。コンピュータではできないよと言っている訳でしょ。だからこの茂木さんが言いたかったことは、僕は大好きで、このことは大きな声で主張するべきだと私は思いますね。
「創造主義」「リアリズム」「合理主義」という「三極構造」
穴澤
ちょっとここで、先程、教科書を出したんですけれども、少し前の話をしておきたいのですが。戦後に久保さんが「創造美育運動」というものを始めたわけですよ。で、それは昭和20年代ごろから昭和30年代初めが山なんですけれども、たいへんな「社会運動」につながったんです。夏に軽井沢とか信州に3千人くらいの先生が詰め掛けて、その研究会をしたという熱い時代がそこに展開されるわけです。やがて「創美」は衰退していくわけです。昭和30年くらいになると。なぜか、という問題がありますね。これはいろいろあるのですが、創美は、野放図に、自由に子どもに絵を書かせていて、今と似ていますけれども、そうすると、「子どもの何の能力が育つのか」と考える人たちが出てくるわけですよね。もっときっちり「内容」を指導したほうがいいのではないかと。当時、今とちょっと違うのは、もっと社会的な問題がいろいろ起こったわけです。60年代の安保のこととか、そうすると教員がいっぱい集まってひとつのエネルギーをもっていくということが、さっきの鈴石先生の話とつながるのではないかと僕は思うんだけれども。教育のことだけではなく、社会的な視野につながっていく部分があるわけですよ。で、子どもの絵は、自由な絵がいい、と思っている人は、社会的に、社会の制度としても、もっと自由であるほうがいいと考えていくわけですね。そういうことが、ある部分の人々にとっては、非常に困ったというか、気になるものであったりして、それで、創美はさまざまな形で、弾圧というほどではないんだけれども、社会の中では厳しく扱われているようになった。
高橋
研究の中身だけ、ということではなくて・・・・。
穴澤
「勤評闘争」などもおこったりした。
鈴石
でも、「創美」の方々は・・・実は、去年、何月だったかな。横内さんと一緒にね、時任さんと三人で福井県に行ったんですよ。武生市に。そこに、藤本さんというおばあちゃん、この人80歳を過ぎた方なんだけれども、すごい毅然としたおばあちゃんがいて、その人が創美の「生き字引」でいたんですよ。これは過激な人でしたよ。横内さんの実践を見せたのだが、みんなコテンパンにやっつけられる。「これはないよ、だめじゃん!子どもがいないわよ!」ってすごいの。そういう彼女にとっては、「子どもの思想解放」というものをずっと持ち備えた人でしょ。彼女にとっては、教師の思いが入り込んでいるものは、決していい絵だと思っていないわけ。それは徹底してそうだったね。私もついでに毛嫌いされて、その後手紙を書いて、ごめんなさいと、またお付き合いさせてほしいと書いたら、「いやだ」って断られて。「もう二度とあなたに会いたくない」って。すごいおばさんでしたよ。そういう過激な人がいたわけですね。政治状況とも絡んでいるんだね。
穴澤
創美は「子どもの絵の心理」を読む、絵の中に子どもの心、気持ちが現れていることを発見した。今では僕らは「当たり前に思っている」ことだが、このジャングルジムの絵はジャングルジムの景色を描いているわけではなくて、ジャングルジムで遊んでいるときの子どものわくわくした気持ち、そういうものが絵の中に描かれているよね、ていう風に思ったりするわけですよね。その「見方」はね、当時新しかったわけです。だけど、絵の中に子どもの心理を読み取れるということに気がついたがために、創美はどんどん絵を深読みしていくわけです。逆に言うと「この絵を描いた子どもはどういう子であるか」っていうことを解釈していってしまうわけです。そのために、すごいことになってくるわけです。この子は家庭に問題がある、とか、盗癖があるとか、果ては親のSEXを見ているとか、そのことが絵の中に現れている、と言うんです。そのあたりまでくると本当か?と思うんですが。
鈴石
ここに、いたずら描きのような、なぐり描きのような絵があるんですが、こっちの絵とまったく違うよね。これ内野務さん指導の絵だけど。これは、子どもがジャングルジムに登るところの少年の絵だけど。こっちはまさしくなぐり描きの絵だ。これは子どもが大人を挑発しているよね。こういう絵を創美は発見したんだよね。
穴澤
鈴石先生、「創美」から「新しい絵の会」が生まれてくるところを説明してほしいんですけれども。
鈴石
先程、香苗さんが言いましたが、「心理主義」に陥ると、こういうことばっかり、一旦子どもたちは解放されるけれども、子どもに力が育つのだろうか、こんなのは「ほったらかしではないか」と言い出した一派がいたわけ。で、その方々が「新しい絵の会」というのだけれども、このままじゃ絶対子どもは育たないと。例えば、この教科書の中でも、「新しい絵の会」の方が指導した絵がたくさん載っています。例えば、「友だちや家の人」。人間をしっかり観察して、人間に近い絵を描きましょう、という「生活画」。「生活の一部を切り取って絵を描きましょう」というものです。
穴澤
つまり、これは一種の「リアリズム」につながっている。逆に創美の心理主義的なものは「反リアリズム」というか、「表現主義」とでもいいますか。そうなると先生方、お分かりいただけると思いますが、「都図研の先祖は、僕は明らかに創美であろうな」と思います。鈴石
「新しい絵の会」ともうひとつの流れが出てきて、「日本版画協会」。中国の版画の影響を受けているんだけれども、生活が題材になっている。
穴澤
今、鈴石先生に、「創美」と「新しい絵の会」の説明をしていただきましたが、(教科書の絵を見ながら)これはいかにうまく描いているか・・・細部まで詳しく書いて・・。で、「創美」と「絵の会」というのが出てきて、昭和30年代になるとい高度経済成長の時代になってきて、工業でも世界にのしていくわけですね。そのときにもうひとつの流れが出てきた。これが「デザイン」である。デザインというものが、「学習指導要領」に入ったのが昭和33年です。辻先生が幼稚園・・・までいかないですね。それぐらいの頃です。まあこのころに「デザイン教育」というものが出てくるわけです。これには明らかに「国家的な要請」があって、美術で単に絵を描くだけではなく、これからはデザインを日本はやっていかなければいけない、ということである。Gマークが選定されるのはこれから少し後の話なんですが。で、「デザイン教育」をやりましょうと。これが教科書の中にも、ポスターや工作的なものでもフォルムとか・・・ようするに「バウハウス」的なものとかね。これをやっていたのが「造形教育センター」という人たちの流れなんです。ここで3つの流れが出揃うわけです。「創美」、「新しい絵の会」、「造形教育センター」。つまり創美の「創造主義」、あるいは絵画中心の「心理主義」、新しい絵の会の「リアリズム」、「認識主義」。それと、造形教育センターの「デザイン」、「近代主義」、あるいは「資本主義」といってもいいかもしれない。そういう「合理主義」。この「3極」が生まれてきて、それが戦後の日本の美術教育の地盤をつくっていく。で、僕の考えを言うと、最終的に造形教育センターの、バウハウス流の合理主義が受け入れられた。様々な美術教育の「技法」や「ノウハウ」を教えていく、と言う流れが一時期美術教育の中心の流れになったわけです。この人たちは、クレバーで、今の資本主義者と似ているところがあって、そういうものを制度化していくわけですね。そしてつくりあげられたものが、先程、高橋先生が、学習の裏には指導があるとおっしゃっていましたが、「学習指導要領」で、文章的にもがっちり作った。こういう学習指導要領がしっかりつくりあげられているのは、世界で非常にまれなわけですよ。
高橋
美術教育のですか?
穴澤
僕は詳しくは知らないけれども、アメリカは州ごとにばらばらだし、シラバスが一応あっても日本みたいな形のものはないですね。それで、私が仕事を始めた1980年代というのは、その3極が底流にあったわけですよ。美育文化はその3極に乗っかって編集していた。人物画を描かせるということがあったときに、創美の人、センターの人、みんな考え方が違うわけですよ。だから三人の人にそれぞれ記事を書いてもらうと、紙面構成がばっちりできるわけですよ!あるいは、呼んで、座談会を開いてもらうと、例えば学習指導要領が「改訂」されたので、それぞれの立場から意見を述べてもらうとみんな違うわけですよ。まあ紙面構成としては面白くなるわけです。それでやっていたんだけれども、ところがそこの地盤はほとんど死んでいたんです。創美の人たちもそれほど力がなかったし、新しい絵の会は政治的な運動のほうで忙しかったしで、それがまあ80年代だったわけです。で、出てきたものはこういうものがあった時代だったわけです。これをいま僕らはものすごいと思わないじゃないですか。なんか古臭いっていう感じがしますよね。で、当時の文部省が出している、「初等教育資料」に、これです。(紙面を指して)うんていに子どもたちが登っているという、何が描いてあるのかはっきりとわかる絵。平成2年の3月号なんですよ。これが2月号。つまり、2月、3月ときて、それで4月号に「この絵」が出てきたんです。これが、さっき鈴石先生がばらしちゃったけれども、内野務先生の指導した作品です。で、これは、平成2年の4月号。その同じ年の8月号がこれ。11月号がこれなんです。つまりだれがみたってここ(4月号)で線が引けるわけです。それで、ぼくはここを「第二の子どもの絵の誕生」だとみているわけです。なぜこういうことが起こったかと言うと、学習指導要領がこのとき変わったんです。それで、そのことを反映した教科書が、これなんです。つまり、この表紙を見ると、それまでのこれは絵画であった。これ(平成4年)は絵とはいえないじゃないですか。それで、2年遅れて平成4年の教科書にこういうものがでてくるわけですよ。とくにこれ。これはなんだ。どんぐりじゃないか。で、そのちょっと前のは、こうやって絵がしっかりとかいてあったわけですよ。ところが、安心するというか、がっかりするということは、この平成4年版の教科書を見ると、実はその裏には、絵画がしっかり残っている。で、ここのエートスと言うか、メンタリティーは、これ(以前の教科書)と変わらないじゃないか。つまり、折衷的な教科書で、教科書会社の人に聞いたんだけど、ほんとはこっちを表紙にしたかったと。で、最後までもめて、どっちを表紙にするのか、っていうことで、こっちでいこうとする考えもあったわけですよ。これが、平成4年の状況なわけです。じゃなんでこんな状況を生んだのか、生まれたのか、というところに合理的な問題があって、まさしくそこが「都図研」の話なんです。そこで、僕と辻先生が就職した1981年の一年前に『素材に出会った子どもたち』(文化書房博文社)が出てくるのです。鈴石先生、その話をしてください。
「造形遊び」の周辺
鈴石
あのさあ、その前に面白い話をしようか。内輪話。いまならばらしてもいいだろう。内野先生のこれを発見したのは、「西野範夫」というおじさんです。文部科学省の視学官だった。さっきの「初等教育資料」も西野さんが編集してるんだけれども。西野さんは初めて、昔のああいう絵と違って、こういう子どもの絵をこの「初等教育資料」に載せようと思って、内野さんを引っ張り込んだんだな。内野さんは、「鈴石よ〜、西野さんから話があったんだけどよ〜」とあの調子で話があったんです。「で、このまま西野さんと付き合っていいか?」と聞くので、僕は「だめ」っていったんです。そしたら・・。
穴澤
でも鈴石先生、その時「学習指導要領」の作成委員をやってたじゃないですか!!
鈴石
やってたよ。(笑い)
穴澤
これは僕はね、絶対言おうと思っていた。指導要領の作成委員だったでしょ。それで、「だめっていったの!」そんな両反で言うなよっていうか・・・。
鈴石
何言うか忘れちゃうから続きを話そう。『素材に出会った子どもたち』。今日は、本がないんだけれども、皆さんもっているよね。昭和52年の頃だと思います、僕が教員になって2校目くらいかな。10年位経ってからだと思うけれども、指導要領が変わって、「現代化」、そして「ゆとりと充実」というね、その流れが実は今までずっとつながっているのね。昭和52年の指導要領が、今でも面々と受け継がれているわけだね。それが今あぶない。「学力の問題」で。20年間ずっと「ゆとりと充実」はつながっていて、その一番の目玉商品が「造形遊び」だね。西野さんは、「造形的遊び」と言ったんだけれども。で、都図研なんかはあちこちで「造形遊び」をし始めたわけです。高橋さんもやってるはずだし。辻さんも若い教員とやってるはずだけれども、一般の教員からするとなんだかよくわからないと。そこで都図研城西大会(1980年)で「造形的な遊びって何だろう」と考えて、「ワークショップ」という新しい言葉も作って、「素材」を中心にした活動を展開したんです。それが、『素材とであった子どもたち』ということです。
「造形主義」と「子ども主義」
穴澤
僕は、雑誌の編集をやっていて、その時に「これがとても面白い!」と思った。美育文化は「造形遊び」をやっていこう!と思ったんですね。造形遊びはものすごく面白くて、絵画ではないわけですよ。例えば、校庭に穴掘ったり、ロープを張り巡らしたりしたりですね、どんどこやって、それが限りなく盛り上がっていったのが、90年代くらいまで。そして、93年に赤羽台西小で都図研大会があった。そこが頂点。「造形バブル」だったね。辻先生、どうですか。
辻
そのころを僕は「造形バブル」って呼んでるんですけど。ありとあらゆる場所をダイナミックに、ありとあらゆる材料を使って活動をおこなう。そういう活動が一番頂点に達した時代だった。表現の領域的な形式というものは、大人のもので、子どもの造形活動は、本来そうしたものではないという考えが底流にあった。その時、僕は事務局長だったんですけど、ここにもいらっしゃる研究局だった岩田芳子先生たちは、それこそいろいろされていたのですね。他者からみると活動の表面ばかり見えて、批判が出てきた。そうした「造形バブル」というべき地点から、「造形主義」のやり方っていうことだけではない、「子どもがなにをしているんだろう」ということを大切にする方向にむかっているのが今の状況だと思う。
鈴石
ちょっと今「造形主義」という言葉で思い出したけれども、内野さんのコメントを読むと「造形主義」に陥ったということがわかる。よく聞いていてね。「塗りたくった色面から、ちぎった紙切れから、子どもはさまざまなお話を生み出します」。つまり形を生み出すんだね。「行為の中で出会ったそれらは」、形に出会ってから行為が生まれると書いてあるんだな。「子どもの話の大切な主人公であり、情景である。子どもたちは絵を描きながら、ものをつくりながら、一人ひとりお話をつぶやいています。そのつぶやきは、そのまま子どもの輝きに繋がっています。」とてもすてきな文章だよね。で、内容はこう書いてあります。「すきな椅子の形にきった紙切れを画用紙に貼り付けました。」つまり、うっちゃん(内野氏)は、白い紙の上に形に切った黒い紙を貼らせたんだね。そして、これを椅子に見立てたんだけれども、椅子以上に動物に変身してしまったわけだ。これは子どもの勝利だけれども、内野さんの「しかけ」というのは、くねっと曲がったこの黒い紙の形であったというわけだね。内野先生を僕は否定している訳ではなくて、「造形主義」とはこういうことだね。
穴澤
そうするとね、また「子どもに帰ってくる」という形になる訳ですね。90年代くらいの都図研の生き方っていうのは「造形バブル」、都図研大会でも、何か旗みたいな布をですね、校庭に長くはりめぐらせたり、材木で階段を封鎖したりしていた・・・。それらは「アート主義」というようなものではないですか。それで、雑誌でも僕は、「これは面白い」と取り上げたわけです。ところが、それに対する批判が起こってくるわけですよ。それは、「現代美術」を追っているだけではないか、とか。
鈴石
何年か前に学芸大学と都図研でシンポジウムやったとき、山田一美先生がすごいこと言ったの。「造形遊び、現代アートっていう名前に変えちゃえ」って。それくらい現場を知らない人にとっては、「造形遊び」は「現代アート」とイコールだったわけだね。今でも日本中にたくさんいます。
高橋
それは、どうなんでしょうかね。私自身についていえば、「現代美術」を子どもにさせているという意識はまったくない。現代美術っていうのは違うものですよね。ただ、私は社会の中で美術作品がつくられているということは、日常生活や工業とか、文化の流れとかがあるので、素材とか、似るところはあると思いますけれども。みなさんどのようにお考えなんでしょうか。「現代美術」と「造形遊び」は重なる、とお考えなんでしょうかね。私もその場(学大)にいたんですけれども、そんな見方があるのかって、たいへん驚きました。
この間、足立区で研究発表をしたときに、学芸大学の柴田先生が講評の中で、「最近は造形主義が蔓延していて、新卒でも授業ができると思っている」というフレーズがあって、私、その言葉が頭の中にすごく残っている。先程、鈴石先生が「造形主義」のお話をしてくださいましたよね。造形主義なら誰でもできる、造形主義でないものは年期がいる、という感じかなと思ったんですけれども。それ以来ずっとそのことってそうかな、と授業やるたびに考えてしまうんですけれども。鈴石先生はどう思われますか?
鈴石
柴田先生の言いようは半分当たっているんだよね。さっき内野さんの例を出したんだけれども、「秘密」がわかったら誰でもできるじゃないですか。うまい具合に子どもは柔軟性があるわけだから、あの紙をひっくり返して貼ったり、イメージがぶわーっとうまれたりしてくるわけで。難しいんだけれども、どこまでいっても図工の教育は「色と形」だからね。子どもたちに形に迫らせたければ、様々な方法があって、形をぺたって貼らせてしまうことは、割と簡単なんではないか、と私は思います。
例えば、ここに絵が一枚あって、岡田京子さんが指導している絵かな。子どもたちがインコに迫っていて、インコとお話しながら絵を描くわけでしょ。これは「造形主義」と言わないと思うんだな。それから滝澤さんが指導した「海」の波の絵。これは「造形主義」でもなんでもないよね。先生があらかじめこういう形を「提示」しているのではなく、あくまでも子どもが「対象」に迫っているわけだよね。僕は、最近好きな言葉があって、「触知」っていってね。触って知る、つまり「触覚の問題」がすごく大きいと思うんだけれども。最近そういう絵が少ない。さっき高橋さんが概観して「絵が少ない。」って言ってたでしょ。だから造形、形づくりはわりと子どもは大好きなんだな、乗りやすいんだけれども、子ども自身が画面をつくっていく、茂木さんも言っていた、へたくそでもいいから平面を構成していく力というのは言葉以上に大切だと私は思っているので、できれば先生の意図した形を呼び込むよりも、子ども自身が生み出す力を育てていく場面を私は大切にしたいと思っています。
一昨日の加藤貴子さんのところの授業は、形なんだけども、「画面」の形なんだね。四角い黄金分割でない、長い紙の形。子どもは、実は画面の大きさや形に敏感で、黄金分割は大人の制度でしょ。そうではなくて子どもが選び出す形に大人は着目していかなければならないだろうと。広長い紙の形から子どもたちがひゅーっとイメージが浮かび上がってくるんだね。「○○を描きましょう」なんて先生は言っていない。そこのよさ、子どものすばらしさを、子ども主義宣言ではないけれども、子どもの可能性を信じている。内野さんの、あの紙の形を与えるっていることは、「子どもの可能性を信じているということだ」と言いながら、「そうでもない」と僕はあえて言いたい。子どもを信じているのではなく、投げ与えている。内野さんはステキな言葉で「手渡す」なんていっているけれども。私は手渡さなくていいと思う。子どもがつくり出すことが大切なんだと。なるべく、大人のイメージ、概念を子どもに投げ与えないで、子どもが描きたいものを描くということをこれからしていかないと、「子ども主義宣言」にならないと思う。結論言っちゃったな。
ジレンマとしての「教育制度」
辻
内野先生の絵が悪者になってる?ので。内野先生は子どもの表現を引き出すために、ある「仕掛け」として黒い紙を貼ったと思うんですね。鈴石先生は、いまあたかもこの作品(滝沢さんの海の絵)がそうした「引き金」が、ないかのように言われましたが、実は「先生の指導によって」海に背を向けて描いているんです。海に向かって絵を描いていない。つまり、先生によって、ひとつの「条件付け」があるわけです。それによって子どもの表現が引き出されているわけですけれども、先生と子どもの関係をどういう風に位置づけるのか、「環境」を位置づけるのか、それとも横内先生の、半分半分の作品のように、半分というひとつの造形的「切り口」によって子どもの思考のきっかけにして内面を引き出していくようにするか、それぞれの子どもの表現を引き出していこうとする部分は、授業を行う以上、存在してくる。それがないということはありえない。教師が「立っている」だけでも、意味づけがなされる。何もないところから、子どもの「自由」は生まれてこない。設定されたものを乗り越えて初めて生みだされる表現の自由がある。そういう考えもあるかな、と。ここで、横内先生に発言していただきたいなと思います。
横内
実はですね、一番最初に鈴石先生が投げかけた、「子ども教の信徒」という言葉についてお話したい。「子ども教の信徒」という言葉を、「子ども主義宣言」の中に挙げたんですが、金子光晴さんという方は、辻さんも好きな詩人で、僕と辻先生は同じような文化の中で成長している。例えば辻先生は漫画が好きで、漫画のいろいろなお話をしていただいているのですが、金子氏はどちらかというとアウトサイダーで、社会にはなじまないで、かなり過激なものも書いていて、本当に年をとられてから、自分のお孫さんができた時に書いたこの詩の中に、「子ども教」という部分がでてくるのです。「子ども教の信徒」という言い方については、これは僕の図工に対する思いも同じで、図工への愛情ということに関してこれと重なることがあって、存在としての子ども、そして、子どもがつくりだす造形、図工という教科も、僕にとっては「アンビバレンツ」なものなんですね。「愛しくて、愛しくて仕方ないけれども、なんでこんなにひどいんだ」っていう、そういう感覚です。あいまいな気持ちを学校教育の中に「制度」としてつくりあげなければならないということと、あってほしいということと、どうにもならないという「ジレンマ」を抱えながら図工教師でいるという方が、実は都図研にはたくさんいると僕は思うんですよ。「子ども主義」という言葉は、辻先生が、都図研の会長を鈴石先生から引き継いでいかなければならないという決意の年に生まれた言葉なんですが、ぼくはここに辻さんの生きてきた時間と図工が経てきた時間が重なってあると思うんですね。本当に子どもに対する愛情をもって子どもがつくりだす絵や工作の面白さを知れば知るほど、なんで、こんなに図工教育がジリ貧になっていかなければならないんだろう、と思うわけです。それが、今メッタメタに言われているのではないか。なぜ言われているのかを追求することは難しいのですが、ひとつは、子どもの絵はこうでなければならないという基準があって、子どものもっている可能性という考えが除外されてしまうところがあると思うのです。僕はこのプロジェクトにかかわって勉強になりました。けれども「子ども主義」という言葉に入り込んでいって、行き場のないところに持っていくよりも、これから広げて子どもをすべて受け入れられたらいいな、とその時、思いました。結局、「子ども主義」ということの中で、子どものもっている「可能性」を訴えたいのです。しかし、この先、どんどん行き場がなくなってしまうという思いもあって、今一番ピークにあるように思う。おそらくこの後、子どもは、教育の場からいなくなるんだろうな、と私は思うんですね。
高橋
今お話いただいた「子ども主義」という言葉に対して、横内先生が抱えていらっしゃることは、切々と胸に伝わってきました。本当にすばらしい文章だと読ませていただいて思いました。横内:僕らはもう逃げられないところがあるんですよ。「文化の問題」というところにもっていっていいのかわからないですけれども・・・例えば、日本語には「NO」がないというんです。「はい、いいえ」というものはありますが、僕らは一般的に社会の中で「いいえ」と言いません。ある人が、本に書いてあったんですが、中国人が「もってってください」というと、日本人は「いいです、いいです。」と言ったと。この言い方が「NO」であると理解するのに時間がかかったというのです。英語で「NO」という言い方は、誰でも使える。明らかに「NO」と言う場面があるのに、日本語では「NO」と言わないのかを聞かれて、考えたわけです。僕らは「あいまいな論理」をずっと引きずっている。子どものことを語っていると、実は自分のことを語っているとこにつながってしまう。なぜなら僕らは自分の中に子どもをもっているからです。実際の授業の中では、紙切れ一枚の扱いについても、子どもにとって素材から材料になっていく、造形活動のきっかけになる、ということにとても意味があったり、また、教師との関係のなかで、教師の投げかけの言葉ひとつによっても活動が違ってきたりするわけです。そういうところは「教育という制度」のもとで活動していながらも、すごく「ライブ」な、日々その姿が変わっていくことを僕らがやっているんだな、と日々感じています。で、僕らが「造形主義」であるとくくることはできるんだけれども、難しいですね。
「テクスチャー」と「私」というキーワードについて
穴澤
僕は、その前にですね、「造形バブル」の時代が懐かしいんです。私が教育現場に何の責任も持っていない編集者だと言うところが大きいのでしょうが。横内先生の内省的な、誠実な言葉に表れているように、造形バブルの時代の華々しさを捨てて、都図研は内向して、「子ども教」の教祖と言う面は、言い換えれば、子どもの内面、ヒューマン的な、そういうところにいっているのが本当は歯がゆいわけ。ここで、この本が出てきて、「やっぱり子どもだよね」となっているわけですよ。僕は別のところで、都図研のひとつの業績の中で「テクスチャー」という問題があると思うんです。久保さんの戦後の絵との違いは、「テクスチャー」です。そういうものを持ち込んだのは西野さんの業績です。僕は表面的な、造形的な解釈から話をするとね、美術で「絵は終わった」と言わない。「触覚」の問題は残されていると思うからです。外国の子どもたちの絵を見ていると、発展途上の国、例えばベトナムや、中国の子どもたちの絵には「テクスチャー」を意識した作品は出てこないのです。ここが都図研の「新しい問題」があるのではないかな、と思うのです。ローウェンフェルドが言った、「触覚型」と「視覚型」という分類ができるけれども、実際にものを持ち込んできた美術は、世界でもそんなにないと思うんです。高橋:現在の子どもたちにとっては、テレビとか、映像のイメージ、形、色彩が非常に身近なので、画用紙や絵の具も非常に刺激的なテクスチャーであると言えるかもしれませんね。これが何か形を描く、非常にベーシックなものである、というよりは、「画用紙という材料」、「絵の具という材料」というように捉えられる。平面を描くという行為の中にも、今の子たちは、新鮮な「素材体験」と感じていると思いますし、そのように子どもたちに画用紙を見てもらいたいと思っていますね。写真やテレビの映像とは違う、「ものそのもの」といった感じですね。
横内
急に振られたのでまとまらないのですが・・・よく図工は「色と形」だと言われている。そこに「テクスチャー」という要素が加わった。さらに言うと、こうした造形の要素にいつの間にか、「私」というものが入り込んでいるんです。辻さんの「子ども主義宣言」の3つの柱の二つ目に「造形表現は「私」をつくりだす」とある。私の担当したセクションのテーマは、「私」で、僕もそのように思っているし、多くの方が受け入れているという事実がある。「子ども主義宣言」とは別に「こどもの城」で「図工だいすき子ども美術展」というのを毎年やっているのですが、今年のテーマを話し合うときに、「図工って何?」という大きなテーマの中に、子どもの造形活動を構成する要素の中に、「遊ぶ」「見る」「かんじる」そして、「私」がある。並列で、並んできている。教育の現場で子どもが「育つ」ということを前提に僕たちは活動しているので、またそこに接点があるのですが、造形活動の中の「私」が要素として並んできたこと、穴澤さん、どう思われますか?
穴澤
僕は「私」は、ぴったりだと思いますね。出来事とかそういうレベルで考えていたのですが、横内先生のお話を伺って、「私」というのがふさわしいと思いました。「私」はひとつの「コンセプト」と言えるかもしれない。多摩の大会だったかな、焼き物、小さいテラコッタを作っていたんです。それを、どこか帰りに隠しておいで、という授業がありました。学校と家のどこか、石垣のところにそっと置いたりするんです、子どもはそこを毎日行き来して、「あ、まだある」と「作品との関係」がきちっとできていくわけです。これってすごいことで、「鑑賞教育」というのは、教養のためにあるわけではなく、作品と自分との関係性なわけですよね。これってもしかして鑑賞教育なのかな、と思ったりしたのですが・・・。毎日子どもたちは楽しみだけど、あるかどうか不安で、地面に埋めちゃったりするんですよ。そうすると、地面に埋めた作品は社会的には失われるけれども、子どもの中にはものすごく、一層強固な関係ができる。話を戻すと、造形要素の中に入ってきた「私」、「出来事」「コンセプト」という要素。ここが、重要になるのではないでしょうか。
高橋
先程、教科書を見せていただいたんですが、昔の教科書の表現方法についてお話がありましが、最近の子どもたちと違うところは何か、というと、「私」が感じられない。「私」という意識が希薄なのではないかと。昔の教科書の絵はうまいな、と思うんですけれども、どうしてこういう絵を描いたのかが不思議で、今もそう思ってしまう。「世界児童画展」で、いろいろな外国の子どもたちの絵を見て非常にいいな、と思うのは、その子の描きたいように描いているということが伝わってくることです。ひょっとしたら違うのかもしれませんが・・・。絵というのは、「描こうとするもの」や「描きたいもの」に「導かれる」ところがあるのではないでしょうか。本当はそうだと思うんです。絵というのは「練習のために描く」のではない。私は横内先生のお話がよくわかって、「技法」というのはある程度あるのかもしれませんが、「私」を中心にセレクトされる、絵っていうものはそういうものだから、素朴にそうなると思うのです。
「技術」は不要だと言っているわけでなく、「描く」ということが先にあるのではないでしょうか。そこに「自分の思いがある」ことが重要だと思うんです。これまで、「技法」や「技術」が重点化される時もあり、「造形遊び」が重点化された時もあり、そして、「素材」が残りながら今「私」が出ているのは、子どもの「素朴」なものがあるからなのかな、と思うんです。横内:僕はね、今やっとわかりました。「色と形」は、造形美術教育に昔からずっとあったんですよ。でも、そこに「子ども」という存在の「身体性」の問題が絡んできて、そこに「テクスチャー」に繋がるんです。というのも、皮膚、身体の基礎そのものだから。子どもの活動の「跡」であり、すべてそこに投影されるんです。最終的に僕らは、そういうものを通して、子どもそのものに迫り、「私」という要素に繋がるんです。そういう意味で、今日のお三方のお話はとても重要です。
おわりに
穴澤
今日はすごいよかった。今までの話はですね、僕が思ってきた問題だったんです。でも、横内先生が登場されて、初めて「考える問題」に変化した。これが考えが深まるということです。僕は、「コンセプト」だと思うんです。例えば、子どもの「内緒」、「秘密」ってあるじゃないですか。秘密がないとつまらない。「子どもの秘密」というもの、その感覚を造形的に表せないかと。横内:子どもは、「造形」で表すことによって「秘密」をつくりだしたりします。例えば、紙を切って、描いたものをセロテープで貼って隠したり、ボンドの海で沈めたりする。子どもがやっていることってすごく「自分」に繋がっていますよね。高橋:気がついたら、時間になってしまいました。せっかくですので来てくださった皆さん、何かご質問はありませんか?いかがでしょう。結論というのはないのですが、穴澤さんが考えてくださったことのあたりでシーンとしてきたのが、何かスリリングな感じがするのですが。最後に一言ずつお話をいただいて「まとめ」にしたいと思います。穴澤:美術教育に関わって、こういうことができて幸せだな、と思うんです。若いときはジャーナリストになりたかったのですが、今、本当に、日本の美術教育を世界にもっていきたいと考えているんです。今まで世界の子どもの絵を日本で紹介してきたのですが、「都図研」のものを外国に持っていくと考えていきたい。ニューヨークで、北京で。そういうことができたらいいなと。今、中国は日本の明治期と同じようなことをしているわけです。僕は日本の美術教育は優れていると思うんです。テクスチャーの問題は途上国には出てこないと言いましたが、そういうことをもっていけたらいいな、と思うんです。そこで、この本が出てきた。この本の必然性は、僕はすごいことだと思います。
鈴石
高橋さんを中心とした「子ども主義宣言」の本は、到達点でもあり、スタートでもある。先程横内さんがちらりと言ったけれども、「もうすでに子どもはいない」と言った、そこが今極めて危険な状況にある。我々はこの危険な状況に眼を背けず、対峙していくことが大切だと思う。もうひとつ、今日の論理の中で欠けていたのは、子ども一般論ではなく、「名を持った一人の子どもと」いうところに持っていかなければいけないと思う。「マイノリティ」というか、現場では「特別支援教育」も導入されてきて、公立学校にもたくさんの問題を抱えた子どもたちが在籍している。そういう「重い問題」それこそが僕たちの緊急課題だと思う。人としてつきあうということもあわせて考えていく、僕たちは狭い世界にいるから色と形が至上に見えてくるけれどもそうではなく、国語の先生も算数の先生も理科の先生も合わせて等しく子どものことについて考えている。同じ水平線上にいるということ、視野を広げていくことが大切なのではないかと感じました。特に、加藤貴子先生の話に戻すけれども、本当にステキな担任の先生たちだった。ある先生のところでは、担任の先生はある意味で共感的ではなかったですね。「ブルーシート」の上で、砂で絵を描く授業だったのですが、担任の先生が「あの子たちは、よく砂がブルーシートからこぼれないように活動していましたね。」と。それは「教育的な指導」が行き届いていたからだと言わんばかりの発言だったが、これがこの日本の美術教育の現状ではないかと。ブルーシートの「外」という規制がある。僕はブルーシートが極めて象徴的に見えたんです。「ブルーシート」がすなわち「図工室」であるかもしれないし、なんとか小学校という学校の中でもあるかもしれないし、教育そのものかもしれない。最後に高橋先生どうぞ。
高橋
私は足立区に勤めていますので、「一斉学力テスト」でごたごたしています。何か申し出をすると、その場で教育委員会に即電話をするような、対応を受けています。それで、なかなか難しいな、と思っているのですが、この間、「学校公開」で、何人かの親御さんが二時間ずっと授業を見ていらして、「学校評価」の感想アンケートに、図工の時間にどういうことをやっているのか初めてわかったと。あと、授業の内容や様々な動きを見ていて、図工という教科について考えた、という意見を戴いたんです。その後、管理職の先生から図工のことで何か申し出をすると、「どうぞやってください」と手のひらを返したように好意的に捉えられるようになりました。あまり共感を得られない現場の中では、日々の授業を一生懸命やって、子どもにとって実りのある時間になるようにがんばる以外、道はないんだな、とつくづく思いました。それって大事なことだと思います。
「子ども主義宣言」は、とても長い時間と、本当に多くの方のご支援とご協力、お力添えでここまでできました。明日、搬出で「子ども主義宣言プロジェクト」はひと段落になります。しかし、私たちはこれを出発点として、「子ども主義宣言」がなんだったのか、日々の授業の中でどのように生かされているのか、考えていかなければならないと思っています。振り返っていかなければならないと。私は感謝とお礼の言葉しかありません。本当にありがとうございました。杉山:すばらしいお話、本当にありがとうございました。それでは、終わりの言葉を、都図研副会長の南先生、感想も含めてお願いいたします。
南
今日の三人のお話を聞いていて、途中途中「そうなのかな」と感じることができたのが私にとってとても嬉かったです。今、学校現場で子どもが「不在」だと言われているのですが、でもうちの学校の子どもたちは、大人が考えた制度に乗れない子たちなんです。そんな子どもたちを見ていると、まだまだ捨てたもんじゃないな、という気がするのと、そういう子どもたちの様子を先生が真似ていて、やはり子どもが楽しめるものじゃないといけないと、子どもがやりたいと思った時しか子どもは動かないし、そういう時じゃないと、子どもにとって得るものはないだろうと。だから、先程、図工の中で「子ども主義」や「造形主義」のお話があったんですけれども、どっちから始まったとしても、子どもが面白がってやりたいと思わないと面白いものにはならないし、「造形主義」であっても、子どもを知らない人がやった造形主義では違うだろうし。造形主義でも、子どもを楽しませることを知っている人がやっていれば、いずれ楽しく、遊びに近いものになるだろうと感じながらお話を伺いました。 この展覧会、明日搬出なんですね。早かったですね。「本」も「展覧会」も高橋先生を中心にエネルギッシュに引っ張っていただき、形になったものだと思います。そして、今日のお話もとてもすばらしいお話でした。ありがとうございました。代表してお礼を述べさせていただきます。 (了)
番外編 トークショウの感想
ひつじ日記7月21日より抜粋
昨日は、「子ども主義宣言 トークショウ」が、ギャラリーTOMでおこなわれた。
鈴石弘之先生、穴澤秀隆氏、高橋香苗先生の3氏の興味深い話となった。観客も終業式にもかかわらず、一般の方を含めても30人ほどいらして、TOMの吹き抜けの狭いフロア(階段や2階に腰掛けたりしながら)いっぱい、3氏を囲むように親密な空間のなかでおこなわれた。(若い人が多かった)
私見になるが、トークショウをダイジェストしてみよう。 まず『子ども主義宣言』という私たちの本をめぐってその本質に迫ろうという真摯(しんし)な姿勢を感じた。まず鈴石先生は、横内克之先生が子ども主義の論文で批判的な意味合いをこめて使用した「子どもの信徒」(同書P230)ということばを引き合いに出しながら、むしろ、そこにひねりを加え、一層、「子どもにのめりこむことが大切」であり、そこからはじまる表現と図工のありかたの重要性をはじめに示唆した。続けて、穴澤氏の話は、81年以来のこの業界での勤務経験(私と実は同期)に基づき、図工教育界を俯瞰する立場から、都図研の運動の意味を歴史的に相対化しつつ、その意義や価値を問い直す語り口ではじまった。高橋先生は、『子ども主義宣言』の編集長としての立場から、また、日ごろ子どもと接する実践者としての立場から、研究のいきさつや授業での表現する子どもたちの様子について具体的に述べた。
話は、近代の「子ども観」の成立(チィゼック、アリエス)や戦後の図工教育の流れを機軸にしながら展開した。(「小さな大人」から「子どもという独自の存在」へと「子どもは発見」された。つまり「子ども観」自体が、実は歴史的な構成物である。では、「子ども」は、図工の中でどのように扱われてきたか?)また、穴澤氏が提示する『教科書』や『初等教育資料』(文部科学省発行)また都図研が発刊してきた『ワークショップ』『素朴の原理』『子ども主義宣言』などに描かれた子どもの「絵や活動」の資料をもとに、時代的な変容を切り口にしつつ、話が展開した。
戦後の美術教育は、「創美」(創造美育)によって、「子ども」ないし「子どもの絵」を発見した。すなわち、子どもが内面を表現するという見方は、今日、常識となっているが、創美において発見されたもの。さらに、創美は、個々の子どもの内面や無意識を志向しはじめるが、袋小路に入り込む。この運動は、社会的大衆的運動と密接に結びつき、大きな運動として展開したが、政治的な縮小とともに沈滞化した。 かわって出現したのが「新しい絵の会」。これは、「創造主義」から「認識主義」への移行を意味する。生活の再現とそのための写実主義を標榜し、その目的から、一種の技巧主義に傾斜した。「教育版画運動」なども同じ路線であった。また、「組合運動」とも密接にかかわりあっていた。
さらに、高度経済成長がはじまると社会的な要請から「デザイン」が要請されはじめると「造形教育センター」が出現する。そこでおこなわれたことは、いわば、モダニズムにそった教育実践である。前の二つの運動にあったような理念は影を潜め、デザインという方法論が浮遊し始める。また、理論家が多く、実践を制度化することに長けていた。それは、「学習指導要領」にも関与している。昭和33年以降、法的拘束力をもつようになるが、以後の系統主義的な内容重視の流れと連動している。そこでは、子どもは、抑圧され、指導技術ばかりが目に付くような作品が目立ちはじめる。たとえば、その頃の「教科書」では、「絵」の分量が明らかに多く、しかもリアリズム(描き方の教授)を主流としていると実物を提示しながら指摘。また「初等教育資料」でも同じであると指摘。 ところが、きわめて劇的に変化する時期がある。この「初等教育資料」(何月号かあとで調べます)の表紙はまったくそれ以前の表紙の作品と異なる。内野務先生の指導作品で、大きないすのベッドに子どもが夢心地で眠っているもの。それまでのリアリズム的な技巧主義とまったく違う。再び、ここに「子ども」が現れる。教科書の作品も「絵」ではなく、子どもの「活動」を中心としたものが多くなる。これは西野範夫氏の主導した「造形遊び」と関連する。同様に都図研では『ワークショップ』を刊行し、子どもの活動へと立ち返る実践を開始し始めている。これは、90年代はじめにおこなわれた「都図研城北大会」(北区赤羽台西小学校、辻は、大会事務局長)で頂点に達する。いわば「造形バブル」とでもいうべき状態を呈した。質的、量的、空間的、身体的、行為的に、授業でおこなえる範囲の最大化したパーフォーマンスが展開されたと言えよう。これに対しては、外部から批判があがった。(辻感想。主に専科制度への対場のちがいによるものと、旧派の系統主義的立場のものが多いと思われるが、むしろ、この時点を契機として、たんなる造形的方法論から、都図研は、「子ども」へと視点を移行していくことになる)
鈴石先生の言う「子ども主義」と「造形主義」の対比的批判も「造形的なマニュアル」で子どもの表現を囲い込むのではなく、子どもそのものに向かい合うことがいま大切だということであろう。
話も終盤に至って、穴澤氏の「都図研はずっと『テクスチュア』(質感)にこだわってきたことに特徴があるのでは?」という指摘と高橋先生の実際の授業の中で、子どもが表現をどこから立ち上げていくのかという指摘(表現活動の前提となる地点をどこにおくか)から、子どもが、身体というものを通じて、世界とかかわりながら、自分自身を立ち上げていくことの様子、プロセスが見えはじめた。
最後に、参観者の横内先生は、図工において、ものとかかわり、活動を展開することは、必然的に「私」というものに帰結していく道筋がみえてくると指摘し、今後の図工教育が、子どもにむきあいながらおこなわれることの重要性を訴えた・・・・・・。 ここで、時間切れとなった。短い時間であったが、とても充実した話の内容であった。(スタッフの島田美由紀先生、杉山裕子先生が記録を起こしてくれますので詳細については、HPで掲載したいと思います。) 今日は、「子ども主義宣言」展の最終日。4時から搬出、まだ見ていない方は、どうぞいらしてください。トークショウの3氏のみなさん、また、ここまでの2年間の道のりを同道してくれたスタッフのみなさん、また、多大なご協力をいただいた関係者のみなさんに改めて御礼申し上げます。
子ども主義宣言